うどんこのお雑煮

映画とか読書とかジャグリング。

映画、セッションを見ました。

セッション、見ました。

session.gaga.ne.jp

 

これ話題になってたんでめっちゃ見たかったんですけど、なぜか最寄りのGEOに置いてなくて探してようやく見ました。サンキューAmazonPrime。原題はWhiplash(鞭打ち)なんですね。まんまですねw

 

感想(ネタバレ有り注意)

JKシモンズ扮する鬼教官が印象的な映画で、これを見ている間中、ずーーーーーーっと個人的に嫌な上司だった人のことを思い出していました。なので結構辛かったです笑

何かに狂気的に取り組んだ経験があるかどうかでラストの解釈が変わる映画なんじゃないかなと思います。僕はJKシモンズに感情移入できたような気がしました。って言うとやばい人かなと思われるかもしれませんが。そういう気持ちが分かるという意味です。僕はそういう人ではないですよw(多分。。。)
これは、僕が鬼教官に勝手に感情移入して勝手に想像する勝手な解釈なんですが、無茶苦茶に一生懸命やる人にとっては、基本的にクソなんですよ、世の中は。なんで他の人は自分のように一生懸命やらないんでしょうねと思う気持ち。もしくはなんで他の人はあんなに上手くやれるのかという気持ち。絶望しながらも(Jazzが死ぬと言ってますね)それでもこの世界で生きていく。次の世代の育成に自分なりのやり方でトライする。育成できたと思ったら、挫折する、心が折れかける。誰もわかってくれないようだ、手塩にかけた生徒にも裏切られた。

これが僕の中の教官の心象風景。でね、↑って主人公もほぼ同じなんですよね。親も誰も分からない、友達もいない、彼女も振った、俺にはこれしかないという気持ち。教官も分かってくれない。

お互い分かり合うという能力が圧倒的に欠けているので気づかないんですけど。そういう意味でこの教官は物凄く教育者に向いてないですねw

で迎える終盤。狂気しか持てなかった男と男の奇妙な友情がヒジョーにおかしな形で育まれているその過程。それを見る第三者(親)の奇異というか、ヤバイこいつらという視線。そして二人がついに息を合わせ、圧巻のラスト。

大変よい映画でした。

 

しかし、一つだけ残念なところがあって、僕にJazzやパーカッションの素養がないため、音楽に関してはとにかく凄え!という感想しかなく、技術的に細かいところが全く分からんwwwこれは勿体無いな〜と思いましたw

 

サラリーマンやりながら子供二人育てながらジャグリングを続けるコツ

どうも!


おはよう!! / buyalex

どうも。春ですね。うどんこです。これだけ暖かくなってくると流石にもう子供たちも鼻をズビズビ言わせることもなくなって安心して保育園に送り出せるというものです。

このまえ何気なく呟いたらなんかちょっとバズったので、これは書いておかねばなるまい、と思いキーボードを叩いています。今月からサラリーマンになる人も多いだろうしね! 

 

どういう人向けか?

さてこのことを語る前に僕自身のことを語っておかねばなりますまい。僕は僕についてしか語れないので、必然的に僕に近い生活をしている人向けの内容になってしまうと思うので。僕は大学でジャグリングと出会って今までそれを13年間(年取るわけだ)続けてます。ソフトウェア業界のサラリーマン9年目、結婚して子供が二人います。ジャグリングスキルは中の上くらいなんじゃないかなという自己評価です。年収400万前後で人生ゆる~く生きていきたいような人です。

 

なのでこの話は謳歌さんが良く書くような、プロジャグラー向けの内容とかには全然なりません。あと大会とかそういう何かに全力をかけて取り組むとかいうことにもなりません。マラソンみたいにじっくり何かを続けていく人向けの内容になります。一応それでも面白い内容を書くつもりです。学生さんでも読めるような内容を目指しました。または、子持ちの社会人がどういう気持で練習会に来たりしているかという資料にもなると思います

 

制約 

さて、サラリーマンやりながら子供二人育てながらジャグリングを続けるにはどうすればいいか?ですが、まずはどういう制約とか前提条件があるかを洗い出しておきましょう。これが分かっていないとやらないことが線引できませんからね。

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・子供は幼児、カミさんは働いているという設定

大体25歳くらいを想定してください。この辺は年齢でかなり違ってくると思います。保育園に入れています。カミさんは専業主婦ではないです。

 

・毎日18時~22時までは基本使えません

子供二人抱えると18時~22時までは基本的に無理ですな。ていうか、これをやらないでいつ洗濯とか洗い物とか寝かしつけとか子供の世話とかやるんでしょうね。奥さんがやればいい、とかいう人は、後述しますがYP(嫁ポイント)が枯渇するので止めたほうがいいです。

 

・毎日朝6時半~9時は基本使えません

子供に起こされるので大体朝はこのくらいです。ちなみにカミさんはもっと早いです。御飯作るので。すごい。当然起床後は朝の雑事と子供の世話に追われるので何かする時間はないです。

 

・平日昼は仕事

サラリーマンですから。繁忙期は休日も仕事ですね。 

 

・日曜は保育園おやすみ

おやすみです。日曜に一人で動くことはほぼありません。保育園やっていますので、土曜は時間が取れます。でも夜はあきませんね。

 

最初のコツ 

前提条件は大体こんな感じです。ちなみに普通のサラリーマンはこういう生活ができるように制度設計されていません。もしかしたら学生さんとかは分からないかもしれないのでもう一度書きます。普通のサラリーマンはこういう生活ができるように制度設計されていません。なので最初のコツはこうなります。

 

サラリーマンやりながら子供二人育てながら好きなことを続けたいなら、出世は諦めろ。

 

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ちなみに僕は、自営業の父の影響が強いからだと思いますが、出世するという概念を社会人になってから理解しました。あれってなんか嬉しいんかな。あ、すごくホワイトな企業なら話はまた別です、念の為。。。

 

。。。気が滅入ることを書いてしまった。。。もちろん他にもあります。大事なことは、自分の生活が上手くジャグリングと繋がるように設計することです。

生活を設計する

例えば、ジャグリングしていないときにモチベーションを上げる。僕はルーチンに使えそうな曲を探すのが好きで、よく通勤時に音楽を聞きます。これをやるには良さそうな曲をストックしておく必要がありますので、まあ家事の合間にでもいい感じの曲に当たりをつけます。最近だとSpotifyとか良いみたいです。前にちきぽに教えて貰ったblock.fmのTCY Radioとかもいいですな。後はTwitterとかで流れてきたりしたらひたすらモーメントに追加してストックします。

またはジャグリングしようと思った時に5秒でジャグリング開始できる環境を整える。僕の場合ボールをあまりきちんと片付けずにそこらへんにおいてます。ジャグリングの良いところは子供がいようがいまいがとりあえず始めることができるところですね。プログラミングとか文筆だと集中力が必要なので難しいです。部屋の中でできない道具であれば、思い切って道具を変えてしまうというのはどうでしょうか。学生のときにハマってた道具は、ジャグリング歴が20年とかいっちゃえば誤差ですよ多分。人生80年以上あるんだから思い切って変えちゃいましょう。

もしくは、寝かしつけが終わったあとの22時、ジャグリングしようと思わなくても一日一回ボールを触ります。一回投げて、駄目なら置きます。ノッたら続けます。このやり方は資格勉強とかでも結構有効ですね。

あとは、僕はよく動画をTwitterとかInstagramに上げるんですが、思い立ったときに動画をすぐ撮る環境を整備しておくのも有効かと思います。三脚を予め立てて置く、とかね。

コミュニティに所属する

社会人になると気づくことの一つに、こういうのは群れないとホント続かないなってのがあります。夏のクソ暑いとき、冬の凍りそうなとき。。。同志は大切です。従って最寄りのジャグリングサークルに所属するのはかなり大事です。学生向けのサークルでもなんでもいいので、そういうジャグラーが集まるハブに行く。最初は友達とかいませんが、何故かずっとやってるとちょっと話せるようになります。優しい世界。探すには、

Naranjaとか、

www.naranja.co.jp

@ma2yeahさんがまとめてるやつがいいと思います。

家庭管理

ここから先は妻帯者向け。特に子供がいる家庭で重要になります、さっきちょろっと出てきたYP(嫁ポイント)の話です。YPを貯めましょう!どうやって貯めればいいかって、これは簡単で、放っておけばカミさんのストレスになるものを何も言わずに全部やる。日曜に家族を置いて一人で練習会に行く、とか、10YPは必要でしょうね。保育園の送り迎えと洗濯と洗濯物干しと洗い物とかをやると1日で2YPは貯まるのでそれを5日。練習から帰ってきて不機嫌な人と泣きじゃくる子供達に会いたくなければこれをやる必要があります。面倒臭いのは、そりゃそうなんだけど、じゃあカミさんに押し付けていいものでもないでしょう(なんで結婚したの?)。YP大事。

もしくは子供がある程度大きければ、一緒に連れて行くのももちろんありです。おやつを餌にすると簡単に食いつきます。奴らは単純なので。ただクラブによっては子供NGなところもあるので難しいところです。一緒に行くなら体育館がいいですね。公園だと迷子になる可能性もあるので気が休まらない。ちなみにこれはYPも相当貯まるのでオススメです。 

まとめ

大体僕はこんな感じで週に2,3時間くらい練習しています。学生のときは1日4,5時間とかザラだったので相当減りましたが、それでも、32歳になった今まだ技術は向上していると思います。あと十年くらいは続けたいなぁ。

 

ジャグリング大会に女子部門は必要か?

チ秋さん is Back!!

九大のチ秋さんがジャグリングにおける女子の立ち位置について呟いてました。

 

 

  

読みました?女子ジャグラーの立ち位置についてかなり切実な気持ちを述べていると思います。ここは、一男性ジャグラーとしてよく考えておく責任があると思ったので今回ちょっと筆を取りました。(非常に繊細な問題なので先に断りますが、ここに書いているのはあくまで個人的な思いですのであしからず。あと長いです。2500文字。)

 

女性ジャグラーの大会における立ち位置については僕の中ではずっと疑問がありました。JJF2017で、女性は4人エントリーしています。男性は8人。JJF2016では男性8人に対して女性3人。3人。何もしなくても自動的に三位かー、うーん。女子部門というのは本当に必要なのか?必要であるならば何故でしょうか?

 

悩んだ結果を先に書いておくと、女子部門というのは必要だと思います。なぜか。

 

なぜ女子と男子を分ける必要があるか?

まず最初に思いついたのは男女の肉体の構造が違うから男子と女子と分けたほうがいいのではないか、という観点。男子の方が肉体的に勝っているのだから、男子と女子は別々に順位付けするのが自然なのではないでしょうか?いくら吉田沙保里が強いとはいっても男子金メダリストに勝てるとは思えません。(多分。いや、待てよ、もしかしたら。。。?)

 

しかし順位付けというからには選手Aより選手Bが優れているということを評価しなければなりません。その評価を女子と男子で分けるということは、全く同じ才能を持つ二人の人間ABがいたとして、女子選手Aよりも男子選手Bの方が優れていると言えなければならないでしょう。まずは、評価には大きく分けて二種類あるというところから考えていきます。それは、定量的評価と定性的評価です。

 

評価の方法 

定量的評価というのは、同じ技なら速い方が勝ち、ボールが多い方が勝ち、回転数が多いほうが勝ちというやつです。アンソニー・ガットーとクリス・クレモのトスジャグリング定量的に比較した時にアンソニー・ガットーに軍配があがるのはほとんど誰の目にも明らかだと思います。

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話は飛びますが、オリンピックのフィギュアスケート羽生結弦選手が金とりましたが観ましたか?フィギュアの国際大会はかなり定量的評価を重視している、と僕は考えています。同じジャンプなら回転数が多いほうが勝ち。この評価方法は結構便利で、それはどちらが上だったか決定しやすいからです。回転数が多い、うむ、こいつの方が上手い。

 

これはしかし実は結構危ない考え方で、何故かと言うと、回転数が多い=フィギュアスケートが上手いとは必ずしも言えないにもかかわらずそういう風に定義されてしまうからです。余談ですが、僕はフィギュアスケートの大会があんまり好きではないです。ほとんど全部同じに見えるので。。。

 

この評価軸で評価すると、たしかに大体のスポーツにおいて女子は男子よりも下だと言えるでしょう。肉体的に劣っているのだからこれは当然と言っていいでしょう。

 

では定量的評価を元にしてアンソニー・ガットーの方がクリス・クレモより良い、と言っていいかと言えば、必ずしもそうとは言えません。評価とはほとんど必ず定性的な面を含みます。定量的観点は別にしておいてじゃあどちらが上か、という観点です。

 

それはじゃあ何なのかと問われると説明するのは難しいんですが、それは本来そこで発揮するべき技術とは違う種類の技術の引き出しの多さと言えるかもしれません。例えばDaggleのKOMEIはジャグリング技術とは別にダンスの技術の引き出しを開けたから評価されました。IJA1995のジョン・ギルキーは見事なクラウニングで評価されました(古い。。。)。そして定性的評価には男女の性差は関係ないということは言っていいと思います。

 

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従って男子と女子の評価を別々にする、ということは定性的評価よりも定量的評価を重視する、ということになります。けど。。。そんなこと無いよね。JJF2017の工藤さんと貫井さん、どうやって定量的に比較しますか?ナンセンスでしょう。だからどうひいきめに見ても、ジャグリングの大会ってのは定性的評価を重視するといえるでしょう。なので、少なくとも評価の観点からは、つまり選手Aより選手Bが上位であるということを明らかにする必要があるという観点からは、男子と女子を分ける必要はないと言っていいと思います。

 

ジャグリングの大会において女子部門は必要ありません。

 

 

 

。。。結論が最初と違うと思った人たち。記憶力がいいね。待て、まだちょっとだけ続くんじゃ。

 

定性的評価に性差はないというのは本当か?

と、ここまで書いてチ秋さんのTweetを読み返したところで、長時間練習する体力には性差があるという記載が気になりました。わざわざ太字にしてあるところに彼女のセンスを感じます。定性的な評価には性差がないと先ほど結論づけました。これって本当にそうでしょうか?嘘では?

 

定性的な評価とは本来そこで発揮するべき技術とは違う技術の引き出しの多さと書きました。これと長時間練習する体力に性差があるということは即ち総合的な練習時間は男子>女子と言えるということだから、取り組む時間に違いが出ます。ということは、本来そこで発揮するべき技術とは違う技術の引き出しの多さも男子>女子と言えるのではありませんか?

 

結論

実はチ秋さんのTweetを見るまで、女子部門の必要性というのは女性ジャグラーも活躍できるということを証明するためだけのものだと、ジャグリングの文化的側面のためだけだと考えていました。あるいは審査のバイアスの問題。でも、そうも言えないかもしれない。本当に純粋にジャグリングを評価する上で、男子の方が女子より優れているから、男子と女子を分ける必要があるかもしれません。

 

つまり、やはり、女子部門は必要である。

 

とりあえず現在の結論はこうだと言えると思います。自分で書いておいて気持ちがよくなく、あまり納得はしていませんので異論があればコメントください。

 

道具に対する考察。どのボールが良いの?Part.1

金槌を持つ人には全てが釘に見えるっていうコトワザをご存知だろうか。あらゆる課題を一つの道具で解決しようとする危険性を揶揄した言葉だ。これは、道具は思考を定義するということを暗に示している。思考は表現に直結する。表現することは重要だ。だから、自分がどういう道具を使っているか知っておくことは重要だと思う。

このブログは僕の考えを書くブログで、僕はジャグラー(アマだけど)だからジャグリングの道具について書く。さらにトスジャグラーでボールジャグラーなので、ボールだけしか書かない(書けない)。先に言っておくけど、自分の考えが絶対正しいとは考えていない。間違ったことを書いていれば指摘してほしい。あと、僕はロシアンタイプを使う人だということを念頭においてほしい。

トスジャグリングのボールには大きく4種類あるんじゃないかと思っている。ビーンバッグ、ソフトビーンバッグ、ロシアンボール、ライトロシアン。まあ他にもあるけど、悪いけど、そういうのは、まあ、僕には分からないからちょっとヨソで書いて。多分4種類くらいの文量が丁度いい塩梅になると思うんだ。よろしく。

ビーンバッグは、まあ、なんというかその、ビーンバッグだ。スポーツビーンバッグとかその辺も該当する。ソフトビーンバッグはビーンバッグよりもフニャッとしたようなやつ。。。今、久しぶりにナランハのHPを見ているけど、もしや無くなったのか??Gボールのナンバーズ8ってそういうやつかな?BBボールとかのことだったんだけど。。。ロシアンボール。中に砂が入っている。振るとシャカシャカ音が鳴って楽しい。きっとジャマイカの人が発明したに違いない。ライトロシアン。めっちゃ軽いロシアンボール。っていうか、Norwikボールだ。ジャグラーkyoがわざわざ輸入してくれた。めっちゃ軽い。めっちゃ軽い。

ビーンバッグタイプとロシアンタイプの最大の違いは垂直性だと思う。垂直性というのは、ボールが垂直に上がろうとする力で、ロシアンタイプの方が大きい。今僕が作った言葉だから知らなかったとしても恥ずかしがらなくて良いぞ!!!ビーンを斜め45度に放る感覚でロシアンを投げると大体地面に対して70度くらいで上がるような感覚になる。

垂直性が高いことの何が嬉しいかというと、ボールが空中で衝突した時にぶれにくくなるのでリカバリしやすいのだ。従って、ボールが空中で衝突しやすいようなことをやろうとする人はロシアンタイプを使ったほうが楽だと思う。ナンバーズジャグラーとか高速ジャグラーとか。また、ボールが垂直に近い感じで落ちてくるのでキャッチ時のケア(なんていうんだっけ。。。?)がそれほど重要じゃなくなる。目指せポロリがないジャグラー

逆に、ボールが直感的な軌道を描かないので、これにストレスを感じる人(ジャグリング軌道原理主義者)とか、キャッチ時のケアに快感を感じる人(キャッチマゾ)はビーンを使ったほうがいいと思う。ちょっと茶化して言ってるけど、ドッグセイヤーがビーンバッグ使っている(使ってるよね?)のはそれなりの理由があると思う。ここらへんの感覚は、特にミルズ系の横の動きが絡んでくると結構シビアだ。ロシアンを使ったがためにミルズができないと思っていることって多分普通に結構ありそう。道具は思考を制限もする。だからこの辺は慎重に。

 

いかん、もっと一杯書く予定だったけど、もう1000文字を余裕で超えてしまったのでまた今度書きます。。。

ユーモアと共にあらんことを。

理想的な状態というものがある。あらゆる物が完全に動作する。あらゆる物が自分の想定の範囲内で動き、その為に自分は完全に安心した状態でいられる。もちろんちょっとした失敗なんかはあっても、その世界の中では全ての物が完全に協調して動くために、妙な安心感がある。

森田芳光という映画監督が作ったA列車で行こうという映画(遺作になってしまったが)は、僕が自分の中で考えている理想的な状態にかなり近い。それ故、僕はこの映画が好きだ。「色んな人がいるんですね。それはそれで、感心しました。」というやつだ。数学や物理でいうならば、中学か高校でなんかで出てくる「〜は考えないものとする」とか、理想気体という概念上の気体なんかがそうだ。

この概念上の存在は、哲学では、クラスという。(という風に僕はクラスという概念を理解している。間違っているかも!)

これに対して現実世界に実際に存在する物をインスタンスと呼ぶ。クラスとインスタンスとの間にはうんざりするほどの乖離がある。自分の人生は全く映画のようにはいかず、物事が起きる様は全然まったく数学や物理の世界の通りにはいかない。

人々はこのことを人生の中で多くの犠牲を払って身につける。ある人は親と子の間に、ある人は学生のうちに、ある人は社会に出てから。悲しいかな、クラスとインスタンスの乖離に耐えきれずに死んでしまうこともある。けれど、社会からするとそれを乗り越えてやっとまともな人という感じだろう。

ところが世の中分からないもので、そういうことが分かってない人もいる。そういう人は、自分のクラスに閉じこもっているように見える。その周囲の人のクラスとインスタンスの乖離を広げてしまうような働きを、社会ではするだろう。ソフトウェアでいうところのバグみたいな人だ。

問題は、まともな人とバグみたいな人というのは、まったく人によって異なるということだ。ある人はAはまともでBは違うと言い、またある人はAはバグっていてBは違うと言う。こうして闇が広がっていく。完全に上手くいく人生なんて無いように、これはもうどうしようもないことだ。世知辛い。。。

だからクラスとインスタンスの乖離を上手く処理するために、ユーモアというものが生まれた、と、僕は思っている。笑い飛ばす力だ。どうも日本人は(日本人しか僕は知らないけど)、このユーモアの力を過小評価している気がしてならない。

だからさ、可愛い浴衣のポイの動画がバズって、どうかしているアンチが捨て垢で罵ってくるのなんか、動画消さずに笑い飛ばしてしまえばいいのに、と僕は思ってしまったのだった。あなたは何も悪くないのだから。

技の分類ってムズい(mani-techについて)

 じんさんがこういう記事を上げていた。Twitter上で流れてきた。

楽しく読ませて頂きました。

ジャグリング界は基本的に人が少なく、ジャグリングについて文章を書くような人はさらに少ないので、こういう文章を見るとなんでも、何か書いておきたくなる。キューバに一人で出張に行った先で、久しぶりに日本人を見たらこんな気持なんじゃなかろうか。キューバ、行ったことないけど。

マニテクとは何か。道具✕操り方とのこと。なぜ必要か。

☆マニテクmani-techの概念は、あるジャグリングがどのようであるか、という記述のための概念であり、ジャグリングをその技術面から分類し、「差異を見る」ことの手がかりの一つとして役立ちます。(役立つといいな) 

これ。ジャグリングについての文章を書くと思うんだけど、自分が今見たジャグリングが体系的にどこに位置するかがぶっちゃけよく分からん、みたいなことが多い。 特にトス系(僕がトスの人だから強く感じるんだろうけど。ディアはその辺上手いと思う。誰が仕切っているんだろう。)。なので多分じんさんも同じような問題意識を持っているんだろうと推測します。持っているといいな。

マニテク的な分類って、例えば、ボール✕高速→KrisKremo,Falcore、ボール✕コンテンポラリーダンス→StefanSing,ユーリ,渡邉尚。といった具合だろうか。これって難しいのは、操り方に適切な名前がついていないとちょっとしんどいですね。例えば、ちょっと古いかもしれんけど、てつんどさんのアレとか村上翼さんのアレってどう表現すればええんや。ボール✕村上翼→バーティカル、みたいな感じかな。ムズい。

結局のところ 道具✕操り方→適切な名前 って感じまでいくと使い勝手が良さそうかなと、個人的には思います。どうでしょうか、じんさん。でもそれって誰かが勝手に決めちゃっていいことなんだろうか。怒られそう。

それ考えると、Daggleって色々よく表現できてるよなぁ(唐突)。

 

書きたいことが書けた気がする。おやすみなさい。

RE: マイヤーさんへ、あるいは模倣とは何か?

前回の記事「ドメスティックなパフォーマンスについて」に学生のマイヤーさんから返信が来た!学生さん忙しい(よね?)のにわざわざありがとうございます。ありがたいことに長文で返して頂いています。以下一部を引用。全文見たい人は前回の記事を読んでね。

ジャグラーは真似をすることに厳しい、ということです
技術、技の模倣にはまだ寛容ですがアイディア、ネタの模倣、特にルーティンの模倣に関しては相当厳しいと感じます
見える範囲が広がったことで見られる範囲も広がり、結果としてルーティンの模倣に関しては閉鎖的空間で村八分に合う可能性もあると考えるとみんな敬遠するのでしょう。それもあって大会は誰も使ったことのない曲を、と意識する人が増えたようにも感じます
その中でドメスティックなパフォーマンスは真似をしやすいのだと思います
なぜならほとんどが理解していないから。
みんな同じことをするので各々のパフォーマンスの差と呼べるものは技術のみになり、しかし技術が似通っていても誰も文句は言わないのです
だから真似をしやすい

その辺が昨今の学生ジャグラーはドメスティックであることなのかなと感じました。

 真似をすることに厳しい、というのはそうだと思う。ただ、ジャグラーに限ったことじゃなくて、模倣はほぼ全ての表現で嫌われるだろう。模倣の仕方を間違うと。

模倣=パクリというニュアンスで考えている人が結構いると思うけど、僕はちょっと違うと思う。音楽の世界に"カバー"というのがある。同じ歌を違うシンガーが歌うというアレって良いカバーと悪いカバーがある。その違いは何か?

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これはカバーアルバム"宇多田ヒカルのうた"というアルバムに収録されている浜崎あゆみによる宇多田ヒカルのカバーだ。パッと聞くと普通のカバーに聞こえるかもしれないがよく聞いてほしい。バックにかなり細かい所までコーラスがかかっていて、それが全て浜崎あゆみなのだ。ちなみにこの曲はこのアルバムのベストトラックにリスナーから選ばれることが多いらしい。浜崎あゆみはコーラスは別のボーカルに任せることが多いのだが、なんでこんな面倒くさいことをしているのだろう?

これは元ネタの宇多田ヒカルの特徴を踏まえている。「作品から聞こえてくる歌声は全て本人のもの」ということこそ宇多田ヒカルの特徴である、と浜崎あゆみが解釈したのだ。当然その解釈の帰結としてはコーラスは全て浜崎あゆみでなくてはならないということになる。だからそうしているのだ。

(ということをこの本で知った。興味ある人はめっちゃ面白いので読んでみてね。) 

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

 

 

模倣というのは作品への解釈と、自分なりの再構築だ。解釈が存在しない、解釈が大きく誤っている、自分なりの再構築が存在しない。これらは全て単なるパクリといって差し支えない。また、"自分なりの再構築"というのは自ら意図して入れるものではなく、それは元ネタへの愛着故にどうしても入ってしまうものだと僕は思う。従って、自分なりの再構築が存在しない、あるいは足りない時というのは、愛着が足りないときだと言える。模倣したものを見た時に僕が"ひどい"と感じた時は、それは模倣していること自体が悪いのではなく模倣が足らないから感じるのだ。

ドメスティックなパフォーマンスは確かにパクリやすいかもしれない。これは僕自身がドメスティックなパフォーマンスができないからよくわからないのだが、多分、解釈が容易なのだと思う。皆それぞれ内向的気質を持っている。それをそのまま舞台にぶちまければいい。そう思う。しかし再構築となると相当に難しい。自分のジャグリングへの愛着の程度が露見してしまうからだ。「えっ、その程度の技術で本質と向き合っているとか思っちゃうワケ?」と言われるリスクを常に負っていると言っていいと思う。(でも30のおっちゃんになると、逆にそれが若々しくていいんだけどね。)

社会人になると、"そういう道"を選んだ人以外は技術を磨く時間が、ジャグリングの本質と向き合う時間が取れなくなっていく。ジャグリングの技術以外の表現ができない人にとってはこれはジャグリングのパフォーマンスをやめるのに十分な理由になりうる。ジャグリングのパフォーマンスをやめてしまえば、流れでジャグリングも続けなくなるだろう。ジャグリングを長く続けたいなら、技術以外の表現技法を学んでおいたほうがいいのではないだろうか。