うどんこのお雑煮

映画とか読書とかジャグリングとか歴史。

美術評論家、ケネス・クラークを読んだ。

ジャグラーをやるにあたって
美しさとはなにかについて考えることが良くある。
過去にも"つくる"と"なる"というフレームで
美しさについて書いたことがある。
ジャグリングにおける美しさとスゴさについて - うどんこの雑煮

では、ジャグリングではなく一般における、
美しさとは何かを上手く説明したものって何かないかと思い、
絵画における美しさの表現を知りたく、この本を読んでみた。

名画とは何か (ちくま学芸文庫)

名画とは何か (ちくま学芸文庫)

著者であるケネス・クラーク氏については、
鬼Lisperであるポール・グレアム氏が
ヒーローとして挙げていることで知った。

私のヒーローたち
以下引用。

ケネス・クラークは分野を限らず、
私の知る最高のノンフィクション作家だ。
(中略)
しかしクラークは違う。
そして彼は単に知的というだけでなく、
素敵なディナーに期待するような仕方で知的なのだ。

本書を読んだ感じ、正にそのとおりだと思える。
クラーク氏が絵を見て、
その感動がいかに大きかったかを論じる
氏の調べは、
確かに知的でステキなディナーに
招待されるような感じだ。

例えばティツィアーノ
パウルス三世の肖像に感動したときの様子を、
彼はこう書いている。

私がそうしたように、横を向いたり向きを変えたりしながら、
一時間もその絵を眺めていると、向きを変えるたびに
何か新しいことを発見できるのである。
賢明な老指導者、
老獪な人物、
同胞を知り尽くしている人間、
神をはっきりと理解している人。
ティツィアーノはこのすべてを、
さらにそれ以上のことをみてとったのである。

なんと豊潤な語彙だろう。
一つの肖像画、っていうか、
人間に対する印象をこれだけ豊かに語れるとは
素晴らしい表現力であるように思える、が、
ただ、大変残念なことには、
氏の名画評はかなりの部分主観で書かれており、
ぼくはげえじゅつについては完全な門外漢で、
一時間同じ絵を見ることのできる感受性どころか
せいぜいboketeを5秒みる程度の浅ましさしかもっていないので、

名画を見ても、
その素晴らしさは微塵も感じられないのであった。。。




悲しいorz




ただこの本は、
批評というものは、
その題材がなぜ良いものなのかを
素人にも分かるように
説明されるべきである、という
僕の思い込みを完全に打ち砕いた。

そんな高尚なことはされなくてもよい。
だって、名画は名画で、
私はこう楽しんだのだから、
それでいいじゃないか。
そういう、語弊を恐れずに言えば、
マチュアリズムがあるからこそできる批評がある。

そう感じられた一冊だった。
美術が好きだった人には本当にオススメである。

受注生産に徹すれば利益はついてくる!読了

仕事柄、ERPシステムを受注生産方式で
作っているのだが、
最近、受注生産方式とERPシステムって
噛み合わなくないか?と思い、
一般的に受注生産方式がどんな感じか
つかむために読んだ。

まあ、いつも僕が読んでいるこのブログの書評から
読もうと思ったんだけど。
書評:「受注生産に徹すれば利益はついてくる!」 本間峰一・著 : タイム・コンサルタントの日誌から

読後感だが、
概ね上記の書評通り、
受注生産にありそうな課題とその対処、
背景に制約理論があったり。

タイトルから考えたら当たり前なのだが、
この本の主題はユーザ側に近く、
ちょっとこれをそのままシステム開発
応用するのは難しいかなぁと思った。
ただしユーザ側が受注生産をやっている場合、
課題としてこういうものが想定されるのね、
っていうのはちょっと残ったかな。

読後メモ:
ERPは守りの経営戦略でしかない
・受注生産にマーケティング戦略論はそぐわない
・ブルウィップ効果(消費者から生産者に近づくに従い需要のブレが大きくなっていく)
・MRP生産管理システムは受注生産には使えない
・代わりに流動数曲線管理を使うべき
・理想的な現場管理システムはいらない

僕がこうなので僕の子供は苦労すると思う

皆さんは子供のときどんな子供だっただろうか。
僕はロックマンシリーズばかりやっていたが、
不思議な事に全クリした記憶がない。
嗚呼ヘタレゲーマー。

親からは習字とかピアノとか囲碁とかくもんとか合気道とか
習わされた記憶があるが、どれ一つ身につかなかった。
学校はというと、ギリいじめの標的にはならないくらいのポジションにいた。

J( 'ー`)し「こいつ、何をさせてもダメでずっとゲームばかりしてやがる。。。」

挙句ゲームを取り上げられてしまった僕は
傷心だったが学力だけは多少良かったおかげで、
九工大に入ってコンピュータとジャグリングの世界に
どっぷり使って留年してしまいましたとさ!

めでたし、めでたし。


さて、信じられないことに僕も人の子の親になったワケだ。
もし僕が僕の親だったらば即座にこのエテ公をぶちくらs(略
だがそういう訳にもいかないだろう。従って知っておく必要がある。
自分が幸運にして免れたが良くありそうな悲劇について。
いじめ、不登校、引きこもり、自殺などなど。。。

内向的な人間にとって、自分の子供がこういうことに巻き込まれると
考えること程ぞっとすることは他にないんじゃないか。。。

そういった問題と闘うのはそう簡単ではないだろうが、
そのヒントを得るのにこの本は良い。

「学力」の経済学

「学力」の経済学

この本は教育経済学という聞き慣れない分野の本で、
その核心は、
統計的データから考えるとベストな教育方法はこれだ!というものだ。
目次はこんな感じだ。

  1. 他人の成功体験はわが子にも活かせるのか?
  2. 子どもをご褒美で釣ってはいけないのか?
  3. 勉強は本当にそんなに大切なのか?
  4. 少人数学級には効果があるのか?
  5. いい先生とはどんな先生なのか?

学者センセイが書いた本とは思えない程読みやすい本で、
2週間程で読み終わることができるだろう。内容も面白い。
多分著者が若いからだと思われる。年齢、分からないけど。。
僕にとって読んでいて心地良い本とは、
基本的に直感から正しいと思える結論が導かれており、
直感からは正しくないと思える結論には良く説明がされている本だ。
この本はその典型と言える。良書だと思う。

ところで、この本には日本のデータはほぼ出てこない。
その理由は、日本の教育経済学に対する無理解であると著者は指摘する。
以下あとがきから引用。

教育経済学の研究にもっとも必要とされるものは「データ」です。
だから自治体や教育委員会、学校などに呼びかけて、共同研究を行い、
データを収集することが必要でした。
しかし、共同研究を持ちかけても、たいていの場合、
冷たく追い払われました。それどころか、ときには、
辛辣な批判を浴びることすらありました。
「あなたの研究は、子どもはカネやモノで釣れるということを示すためのものなのか。」
「教育は数字では測れない。教育を知らない経済学者の傲慢な考えだ」

根本的な原因は、研究に対して寛容になれない程に現場に余裕がないということだとも思う。
しかし、我々はもっと教育経済学、というか、
学問、研究に対する寛容な姿勢を、未来のために持つべきではないか?

誰のためのデザイン?読了

あけましておめでとうございます。

早速だけど、手元にiPhoneがある人はロック画面を見てみてほしい。
最初に目につくのはロック画面の壁紙に設定している僕の娘の顔だ。
とても可愛い。イェーイ。

恐らくその次に(つまり、普通の人にとっては最初に)目につくのは
日時と、">スライドでロック解除"という文字だろうと思う。
それが左から右に発光(sweep)している。
この画面からは、この画面をデザインした人が
ユーザに画面を左から右にスライドさせようとしていることが伺える。
(さらに言うと、左から右に、というのはこの画面を触る典型的なユーザが
右利きでありiPhoneを片手で使うことを想定しているように思える。)

ドナルド・ノーマンによれば、
このロック画面のような、
ユーザにそれがどのように使うことができるかを示す
特徴のことをアフォーダンスという。
上述のロック画面は左から右にスライドすることを
アフォード(支える)している、と言える。
ということをこの本で知った。
アフォーダンスを上手く使えばユーザの注意を
デザイナがしたいようにコントロールすることが可能だ。

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

さて、このアフォーダンスをとても上手く応用している人種がいる。
彼らはユーザ(というか、この場合、彼らを見ている人たち)の注意が
彼らが見てほしくない箇所から
彼らが見てほしい箇所に向くことを巧みにアフォードする。
これはミスディレクションといい、
これを上手く使う人種を我々は通常マジシャンと呼ぶ。

アポロ・ロビンス: 注意をそらすテクニック - YouTube

うん、まあ、アフォーダンスに対してやり過ぎな応用をしていることは認めるけれど、
iPhoneのデザイナがやってることと
マジシャンのやってることが一致すると言えるのって面白くない?

では、このブログは(いちおうは)ジャグリングについての考察が
メインであるので、ジャグラーアフォーダンスについて考える。
ジャグリングでも注意をコントロールすることができる。
アブラカタブラはその典型だし、一つのボールだけが
同じパターンを繰り返す(目玉焼き、[6x,2x][2x,6x]等)ので
そのボールだけ色を変える、といったことが考えられる。
これを推し進めていけば面白いことができるかもしれない。
でも結構難しいと思うし、これは主観だけど、
ジャグラーは自発的に観客をコントロールするべきではないような気もする。

まあ、結局そういうことがしたいならマジック練習せえ、
っていうことだと思う。適材適所。

オリンピックのエンブレム問題を追っていたら見つけた中西元男氏が僕の中で熱い

結構前になりますが、
東京オリンピックのエンブレム問題が発生した際、
色々見てたらこの記事を見つけまして。
中西元男公式ブログ | 中西元男 実験人生

この問題が抱える根本を見事に説明している気がして
目からウロコが沸いて落ちていきました。
それからというもの僕の中で中西元男氏がフィーバーしています。

この人はデザイン畑で、
NTTとかケンウッドのロゴを手がけた人です。
そんな男のCI事例集がこちら。

コーポレート・アイデンティティ戦略―デザインが企業経営を変える

コーポレート・アイデンティティ戦略―デザインが企業経営を変える

楽しく読めました。

CIとは。

コーポレート・アイデンティティ(英: Corporate Identity 略称: CI)は、
企業文化を構築し特性や独自性を統一されたイメージやデザイン、
またわかりやすいメッセージで発信し社会と共有することで
存在価値を高めていく企業戦略のひとつ。
CI、CI 計画、CI プロジェクトなどとも呼ばれる。1930年代にアメリカで始まった概念・戦略である。

コーポレートアイデンティティ - Wikipedia

この本を読むと、この人が品質(という工業的な表現でいいのか分からないが)
に対して妥協していないことが分かります。
つまり、NoというべきときにNoと言っているように思われます。

伝統あるご紋章を捨てるというのは、想像もつかない、
とんでもない提案だったのでしょう。
「ああ、これでこの仕事は終わったか。
まあ、それならそれで仕方ない」

これは松屋銀座のCIで、
ロゴを一旦捨てて新しくしようという
提案をするときの一節です。
そもそもよーそんな提案するなァという思いと、
この一種諦観した態度。
この部分が最高にかっこいいのです。

プログラマですが、
あー、これはNoというべきだなと
思う部分はいっぱいあります。
ビジネス戦略が見えない、
品質戦略が甘い、
残業が多い実装めんどくさいetc。。。

僕ではそれならそれで仕方ないとは言い切らないです。
僕が勤め人だからではないと思います。
何故それが言い切れるのか?
自分の方が正しいと考えきれるかです。
この人は恐らく、
自分が本当に納得のいくデザインだけをするということに
どこかで自分にコミット切ったんです。
そして日々勉強しているんです。
負い目のなさです。
そう、柴千春です。

「自分はこの喧嘩でなに1つ負い目はねェッ
その気負いッ
その自負心こそが拳に力を呼び勝ち目を呼ぶんだッッ」

もっと勉強しないとなー。。。
企業と喧嘩するタイプの柴千春の
喧嘩っぷりを知りたい人はご一読ください。

仕事と家族読了:ワークライフバランスを考える

ウチには子供が二人います。
常々思うんですが、子供の世話って大変ですよね。
生後半年は3時間毎に起きるし、
それからは何でも口に入れる期が始まるし、
それが終わってちょっとするとイヤイヤ期が
始まるしもうやってらんないっす。
僕の感覚だと子供一人に対して1.5人くらいの
労力がかかるんで、(つまり子供二人だと3人必要だと僕は思う)
僕としてはなるべく子育てに参加したいのですが、
ここで問題になるのがどれくらい働くのか
ってことです。

日本のいわゆるサラリーマンっていうのは、
僕はサラリーマンやっているんですが、
基本的に、専業主婦のパートナーがいて
持病とか特に持っていない屈強な男性が
働くことを前提にデザインされています。
そして日本ではサラリーマンが働き方の
スタンダード(8割くらいがこの雇用形態っぽい)です。
これは言い換えると、日本では女性や弱い男は
"まとも"じゃないぜってなもんなんですが、
それって先進国(僕は日本はもはや先進国じゃないと思っているが)
としてどうなんですかね?
っていう個人的な感想と、
まあ、この不況でそんな寝言いってんじゃねえ
労働力足らんのぢゃっていう感じになっちゃってきてるんで、、
どうすりゃいいんですかね?

ということで、仕事と家族を読みました。

こんな本です。

  • 近代(1970年以降)の仕事の在り方の変遷っぷり
  • 変遷に対し各国政府の対応っぷり
  • 家族の在り方の変化っぷり
  • そして日本は今後どうすべきなのか

読んだ感想なんですが、
近代の仕事の仕方を考える上での
基礎知識が網羅できる本だと思いました。
学校で教えるべきだと思うくらい。
ところどころデータを詳細に追っていく箇所は
ちょっと読みづらかったですが、
大方のところはすっと頭に入ってきます。
良書だと思います。値段も手頃。

書籍だと読みにくいと思われる方は
こちらの記事などどうでしょう。同じ著者です。
日本的働き方における「フレキシビリティ」の矛盾

国としての大軸として、
大きな政府を選ぶか、小さな政府を選ぶかは
難しいところだと思いますが、
個人的には、
日本人は小さな政府を形作れるほど
パワーが無いと思うので、
大きな政府がいいんじゃないかなぁと
考えています。

いじょ。

どう教えるかについて

ちょっとした思考ゲームをしてみる。

僕は課長を殴って会社をやめてしまい、ニートになってしまった。
今になって思えば何も殴ることは無かったんじゃないかとは思うけども
月100時間以上残業させたくせに家に仕事を持って帰れと言われてしまえば、
まあ、仕方がない。
そんでまわりのオヤジ達にそのことがバレてしまい、
どうせ暇なんだからと町内少年野球チームの監督をさせられるハメになってしまった。
(どう考えてもニートに少年チームの指導をさせるとか有り得ないけど、
ほら、思考ゲームだからね。)

さてこのガキ共にどうにかして"やきう"を
教えてあげなければならないンゴなのだが
ここで二つのアプローチの仕方がある。

A:野球のルール、語彙を座学で徹底的に学ばせテストした後で
(インフィールドフライは野手に選択的優位が発生するため
落球してもアウトとする。絶対に忘れるな!)
初めて道具に触らせてゲームを教える。
このアプローチは子供がどれくらい理解しているかを
測定するのがかなり簡単だが、子供の方は多分そんなに面白くない。

B:簡単なコンセプトと道具の使い方だけを子どもたちに伝え、
まずはゲームのようなものをさせてみて、その後でルールや語彙を教える。
(ね、一塁に人がいるときに内野にフライが上がった場合に、
捕る人がわざと落としたら2つアウトにできてずるいでしょ。
インフィールドフライっていって勝手にアウトにするんだよ。)
このアプローチは子供は面白く感じるだろうが上手い下手、ルールの理解度の測定等
教える側が考慮することが多いし何より時間がかかる。

一般に、Aのアプローチは教示主義、Bのアプローチは構築主義と呼ばれている。

教示主義は我々が受けてきた通り、現在の学校至る所で見られる。
教示主義が優れているところは管理が簡単であるということで、
今日の日本の高い識字率や計算能力の高さ(少なくとも四則演算のレベルの高さ)は
これによるところが大きい。
問題は教示主義が内的動機付け(やる気)をほとんど考慮しないということで、
要するに、アメをやるからフェルマーの最終定理を証明しろと言われても
そりゃ無理だろうということだ。
だから学校教育に関しては、小中学校以降はなるべく早く構築主義的に
なっていったらいいなぁと思う。

さて僕は生きていてプログラミングやジャグリングについて教えることもあるが、
その時には構築主義的でありたいと思う。
で、この本を読んだ。

作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド (Make:Japan Books)

作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド (Make:Japan Books)

この本にシーモア・パパートが提唱した
構築主義学習についての8つの大切なアイデア
あるのでちょっと編集、引用して終わりにする。
(この本はものづくりに関する本なので、ものを作ることに対しての態度だということに留意)

  1. 実践による学習
  2. 素材にテクノロジーを使用する
  3. 困難を伴う楽しみ
  4. 学び方を学ぶ
  5. 時間をかける
  6. 失敗をせずに成功することは不可能(最も大事)
  7. 生徒にすることを自分もする
  8. デジタルテクノロジーについて知ることが読み書きと同じくらいに重要なデジタル世界に踏み込みつつあるということ