うどんこのお雑煮

映画とか読書とかジャグリング。

ドメスティックなパフォーマンスについて

音楽において、「全くの新規なものが聞きたいのなら無人島で育った人間の雄叫びでも聞いておけばいいんだよ。」と言ったのは松尾潔という音楽プロデューサーがラジオに出演した時だった。これはこう続く。「"懐かしさ"という成分が一ミリも入っていない新譜は、新譜としての価値がない。」この言葉が好きで、妙に覚えているのだ。(ちなみにライムスター宇多丸のWeekend Shuffleという番組だ。)

学生がジャグリング大会でやってるルーティンがあまり面白くない、という人が結構いる。いや計測した訳ではないが結構いると思う。特にプロ、もしくはセミプロ、20代後半以降に多いように感じる。彼らが言う、"最近の学生が流行りでやっている"のは大体こういうルーティン、こういうニュアンスだと思う。Stephan Sing先生に登場していただこう。

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コンテンポラリーダンスって感じだ。こういうのってここ4,5年で一気に増えたなっていう感じしない?ま、確かにちょっと眠くなるし、面白くないと言いたくなるのも結構分かる。(ちなみに僕はルキやユーリが余りにもエポックだったために増えたのだと思っている。)

ただ僕とっては結構面白いのだ。面白い、面白くない。これを分けるのって、一体なんだろう?ここで松尾潔の言葉を思い出して欲しい。彼の言葉をこの文脈で言い換えると「自分が歩んできた今までの歴史の中で、今見ているこのパフォーマンスが胸に収まる場所がないとき、そのパフォーマンスには価値が見いだせない。」となる。この言葉と、学生大会がつまらないと言ったジャグラーにプロ、セミプロが多いということは無関係では無いと思う。

学生大会がつまらないといったジャグラーにとって、パフォーマンスというのは開いているものなのだ。しかし、このようなコンテンポラリー・ダンスっぽいパフォーマンスは明らかに閉じている(ドメスティックである)。パフォーマンスなのに閉じている、ということ自体が彼らの経験上絶対に有り得ないから面白くないのだと思う。これは恐らく彼らがジャグリングを始めた動機と僕がジャグリングを始めた動機が違うからじゃないかと思う。この辺は実際に聞いたわけじゃないので推測にしか過ぎないのだが。

彼らは多分テレビやサーカスやベガスのパフォーマンスを見て、面白いから、そういうのをやってみたいから始めたのだ。でも、僕がジャグリングを始めたのがそれが見ていて楽しいからとかそういうんじゃない。それが難しいからだ。難しさ自体が好きなのである。ホモ・ロジクスという言葉がある。これはアラン・クーパーというエンジニアがその著書の中で言った。

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難しいことそれ自体そのものが好きな馬鹿を揶揄しているのだ。普通の人はそういうものには近づかないらしいが、、、この言葉は僕が思うジャグラー像、ジャグリングに対する印象をかなり的確に表現していると思う。つまりジャグリングっていうのは、僕の中では本質的にドメスティックなのだ。然るに、ドメスティックなパフォーマンスというのは、その本質に少しでも近づこうとしているように映る。だから僕にとっては面白いのである。そうでない人には、「なんでこいつは観客のことをこんなに無視するんだろう。」という感じになることは想像に難くない(し、僕もそう思うことはある)。

ま、結局の所、人それぞれ、という無難な言葉に落ち着くわけだが、最後に一つ、学生向けに老害っぽいことを言って終わろうと思う。ドメスティックなパフォーマンスというのがジャグリングを知らない人の胸に収まる可能性は、相当に低い。やはりジャグリング・パフォーマンスというは一般的には祝祭なのだ。それは結婚式や披露宴、祝賀会等で本当に要求される。だから社会人になってからのジャグラー向けでないパフォーマンスをやることになっても困らないように、祝祭をテーマにしたパフォーマンスを一つ作っておくことをおすすめする。