うどんこのお雑煮

映画とか読書とかジャグリングとか歴史。

ジャグリングと動画の話。

諸事情あり、エトシとえもっちゃんとさだのという、聞く人が聞いたらそうとうよく分からないメンバーで、この前ちょびっとばかし飲みました。そんとき思った話。

エトシという奴はプロカメラマンで(だよね?汗)、現在スチームパンクな写真やらなんやらを撮りまくっておるのですが、それがツイッターで流れてくるので良く見ています。それと同じタイムラインで、ジャグリング動画もじゃんじゃか流れてきます。一緒に見ていて、動画と静止画って似ているけど結構メディアとしての性格違うよな〜と思うのです。特にユーザーに強制するコストが、動画の方が圧倒的に大きいように思います。

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動画。

自分がラジオを主な情報源としているので特にそう思うのですが、ラジオは、頭を使わない仕事との相性がものすごく良いなと感じます。皿を洗ったり洗濯物を干したりしながら聞くことができる。伊集院光深夜の馬鹿力を聞きながらモンハンしまくった若かりし日の思い出。。。

でも、動画は違う。ユーザーはそれを見ている間基本的に何もできません。特に視覚を奪うというのが良くないです。視覚は人が受ける情報の8割を占めると言われていますから、それはもう集中力を消費するわけです。動画見ながら料理とかしたら絶対指スライスするって。間違いない。当然それほどのコストを払うに足る価値を動画は与える必要があります。で、動画が伝える価値というのを考えてみると、「情報」と「感情」があると思います。

こっからはジャグリングと動画っちゅう話になるんですが、ジャグリング動画が伝える価値ってなにかというと、「新しい技がある」とか、「この人はこういう技、演技をやっている」という情報、「すげえ」と「やべえ」と「おもしれえ」という感情であると思われます。ジャグリング動画って不利やな〜と思うのは、この情報ってのがまず素人から見るとどうでも良すぎてまず価値がない、そして与える感情はちょっと、スマホやテレビで見ても画面が小さすぎて伝わりにくい。。。

感情に訴える動画メディアとして僕は映画が好きなんですが、あれほどうまく感情が伝わる背景には「物語を語る」という太古の人間から連綿と行われ発展してきた文化があることは間違いないでしょう。そしてジャグリングと物語は相性が悪い。。。否、物語とジャグリングを結びつけようという試みが近年あるのは知っているのですが、動画というメディアでこれを上手くやってのけた例というのは僕は見たことがありません。個人的には、VRとかはちょっと期待している。。。

こういったことを酒の場で話すということをもっとやりたいんだけどどーしても世間話に終始してしまうのよね。酒を飲みながらそういうことをダラダラ話すということをやるには年を取りすぎて時間がないのかもしれません。なので、こういうことは、文としてまとめていこうと思いました。また飲みにいきましょう。かしこ。