うどんこのお雑煮

映画とか読書とかジャグリング。

ジャグリングにおける美しさとスゴさについて

美しいジャグリングとスゴイジャグリングの
違いについての考察です。

僕の中のスゴジャグラー上位に位置する
大橋くんが2ヶ月前に動画を公開しました。

う、美しい。。。
また、このようなジャグリングもありますね。

これはイイ奇行種。
この2つを見比べた時に、美しいと感じる部分とスゲェと感じる部分と、
脳の違う部分が感動しているナーと感じることがあります。
(大橋君的なものに対しては主に美しいと感じ、
Wes的なものに対しては主にスゲェといった感じる。)
前者をA、後者をBとし思いついた限りでジャグラーをカテゴライズすると
概ね以下のような感じかなと。
A:大橋君,山村佑里,Stefan Sing,Gautier Trischler
B:Wes Peden, Jay Gilligan, ナンバーズが主戦力の方々

さて、
この感覚を全人類が共有できるという驚愕の前提を立て、
この感覚の違いが何によって生じているのかを考えます。
結論から先にいうと
僕は、これは重力との付き合い方によって
生じていると考えています。

ここで、これを導出する考えのベースとして、
「反哲学入門」という本の根底に流れている
"つくる"と"なる"という概念を使います。
これは、どんな民族にも
現存する世界がどう作られたかを説明する神話があり
それを整理すると「つくる」「うむ」「なる」の
三種類にカテゴライズできる、
という文脈で出てくる単語です。
(詳細は本書を。哲学本なのに非常にわかりやすい名著です。)
で、
"つくる"が規定しているのは、現存する世界は誰かによって作られたものである、
というもので、
"なる"は、現存する世界は神秘的な何かの作用で具現化されたものである、
というものです。
(ちなみに"うむ"はその中間にあるもの。)
"つくる"神話には何か絶対的な者が世界の背後に存在するのだとする点に対し、
"なる"神話にはそのようなものは存在しません。
"つくる"は超自然的な者に対して肯定的で
"なる"はそのような者に対して否定的と言えます。
で、神話ってのはあらゆる民族の考え方の根源で、
それに"つくる","なる"という性質があるという以上、
人間の感覚の指向は大きく2つに分けることができると思います。
即ち
"つくる"感覚を指向する人間と、
"なる"感覚を指向する人間。
そして"つくる"を指向する人間のいう"上達"は
超自然的な何者かに近づくということ。
"なる"を指向する人間のいう"上達は
自然に近づく(自然と一体となる)こと。

これをジャグリングに当てはめます。
ジャグリングにとって最も身近な自然とは何なのかを考えたとき、
それは重力ではないかと思うのです。
そして前述の
Aが"なる"を指向するジャグラー(なるジャグラー)、
Bが"つくる"を指向するジャグラー(つくるジャグラー)と
言えるのではないかなと。
なるジャグラーはできるだけ重力と上手いこと
付きあおうとします。この"上手いこと付き合えている感"が
僕の脳の"美しい"と感じる部分を刺激するような気がします。
一方つくるジャグラーは重力を征服するようなジャグリングをします。
この"征服できている感"が僕の脳の"スゲエ"と感じる部分を
刺激しているような気がするのです。

反哲学入門によれば、
いわゆる哲学というのは西洋思想のプラトン以降のことを指していて、
これは"つくる"思想がその背景になります。
そしてそれがニーチェによって"なる"思想も
大事なんじゃねえかとひっくり返される訳です。
(プラトン以降蔑ろになっていた"なる"思想への
原点回帰を提唱した(らしい)。)
この本はこの流れを反哲学だと言っています。
これより、つくるジャグラーのやるのをジャグリング、
なるジャグラーのやるのをアンチ・ジャグリングと
いってもいいんじゃないかなぁと
思ったりするんですがなんか語感がよろしくないので
ちょっと微妙かな。。。

最後にもうちょい突っ込むと、
日本人もヨーロッパの諸民族も、大元は"なる"神話を持つので、
なるジャグラーが評価されやすい文化が育ったのかなぁとか
思ったり思わなかったりです。
以上。

反哲学入門 (新潮文庫)

反哲学入門 (新潮文庫)