うどんこのお雑煮

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幕末の話1

知ってる偉人を娘に聞いてたら、ナポレオンの名前が出てきたのでフランス革命の流れを嬉々として語っていたら、日本の革命も教えろと言われたので、明治維新の話をしなければならないハメになった。

歴史のあるポイントを語るには、まずその前後の世界の情勢を頭に入れておく必要がある。然るにこういうとき、どこから話を始めるかというところに苦慮するのだが今回は、産業革命第一次世界大戦の流れの中で、幕末という時代を語るようにしようと思う。

産業革命

で、1780年産業革命である。もうこれだけで一冊書ける勢いのあるワードだが、今回はこの結果だけに注目しよう。つまり、西欧の強烈なライジングである。特にイギリスは、1820年には世界の工業生産の半分を占めるようになった。こいつらが調子に乗ってアジアまで攻めてくる。この頃の西欧の主要な考えは「広い国土=イイ!」であり、とにかく植民地をたくさん増やす植民地政策を取っていた。アメリカ大陸あたりの植民が落ち着いてきたので、次はアジアを、というわけである。ビールはもういいから焼酎、みたいに言われても困るのだが。。。

アヘン戦争

イギリスは中国(当時は清)を使っていっぱいお金を稼ぎたい!と思ったわけだがそのためには何かを売る必要がある。さて何を売るか。そうだ!アヘンだ!というわけでインドでアヘンをいっぱいいっぱい作って流し込む。国家単位のシャブ漬け政策である。しかも清はアヘン禁止の国。これではたまらんので拳を振り上げたところを逆にリンチしたのが1840年アヘン戦争である。南京条約を締結させ、香港を取り上げ賠償金を払わせ開港させた。我が物顔で中国を占領するイギリス人、イケイケである。

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イギリスが中国にアヘンを飲ませている。凄い絵だ。。。!

これに大きな衝撃を受けた国がある。中華文明を長いことパイセンと仰いできた我が国、日本である。

その時の日本

当時日本では少しずつ、食料経済から商品経済への転換が起きてきていた。これにより商人の地位が大きくなり、身分という者があいまいになってくる。さらに長年の徳川一強体制から政治が腐敗、1837年の大塩平八郎の乱に代表されるような反乱が少しずつ発生してきており、武家社会の頂点である幕府の権力が落ちてきていた。

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大塩平八郎御大。秒で負けてしまったのだが、熱い男である。

そういう中での中国の凋落であり、徳川幕府は大変な焦燥感だっただろう。1841年、天保の改革が実行されるがこれが大失敗に終わる。もう幕府主導の改革など、どの藩も相手にしていなかったようだ。さらに同じタイミングで改革に成功する藩、雄藩*1も出てきたりして、さらにグッダグダになるのであった。この流れの中で1853年にアメリカからペリーさんが来航してくる。いやでござんす(1853)、ペリー来航。日本の命運やいかに。

 

続く。

*1:薩摩藩長州藩が代表例。