うどんこのお雑煮

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超高速参勤交代鑑賞後感[ネタバレ注意]

超高速! 参勤交代 [DVD]

超高速! 参勤交代 [DVD]

2014年の映画。
監督は本木克英。初見です。
主演は佐々木蔵之介。かっこええです。
これ、日本アカデミー賞脚本賞を取ったんですねえ。
今年続編が公開されますね。

感想ですが。。。
普通に楽しめる時代劇でした。
一風変わった設定(参勤交代)と
かっちょいいアクションを
コメディタッチで爽快に見せてくれました。
特にコメディ部分においては西村雅彦が面白いです。
こういう役をやらせたら彼はスゲェはまりますね。
他の役者陣も豪華&良い。
彼女とか、家族と一緒に
キャッキャ見る映画として良いですね。

なんですが、、、
なんちゅうか、ぼく、年を取ったんですかね!
ちょっと脚本的な粗が目立ってしまい、
それがノイズになってしまいました。

殿(佐々木蔵之介)の
立ち位置がちょっと微妙すぎなんですよね。

良い殿として出てくるんですが、
途中で部下と離れてしまいます。
それも結っっ構長い間。
この映画の推進力の一つに
部下を邪険に扱われた上司の怒りというのが
あると思うんですが、
これでは上司と部下の絆が
十分描けなくって
微妙になってしまうと思うぞ。うん。。

あと忍者さんとの間柄もちょっと。。。微妙。。
泥だらけの小判ってあれなに?
多分蔵の底の泥がついた小判(?)という意味
(ギリギリのお金を与えているという意味)
かなんじゃないかと思うんですが、
伏線の張られ方が微妙すぎて、う〜ん。

さらに途中で女に優しい一面が描かれるんですが、
ちょっとお前気まぐれすぎでしょ。。。
お金もないのに。。。何故そいつを選んだ。。。
しかも最後までこの女が役に立たないので、
深田恭子を制作側が無理やり使いたかったようにしか見えない。
う〜〜〜〜〜〜〜〜ん。

あと、ラストもかなり
無理矢理感あると思うんですよね。
慌て者の金。いやそれは分かるが。。。
なんの前触れもなくいきなり言われても
はぁそうですかとしか思わない。
この作品全体の種明かしなのにも関わらず
あそこ以外で金の描写が無く、
しかもものすごくあっさりやられるので
全然スカッとしない!o(>皿<)o

最後に、
ちょっといちゃもんみたいなものなんですが、
こういう映画最近多い気がするんですが、
いくらなんでも徳川家に対しての
態度が無礼過ぎるんですよね。
武家みたいなガチガチの階級社会の中でも
その枠の中で相手にやり返すこともできるんだぜっ
て所に
時代劇的カタルシスを求めるぼくにとって、
そこが甘いと世界観ぶち壊しなんですよね。
マジかんべんして欲しいところです。

全体的な殺陣の完成度とか、
あの頼りなさ気に見えた部下達が刀を抜く前の口上(2回目)とか、
コメディ部分のできの良さとか、
そういう所がかなり良いだけに、
ちょっともったいないナァと思ってしまいました。

美術評論家、ケネス・クラークを読んだ。

ジャグラーをやるにあたって
美しさとはなにかについて考えることが良くある。
過去にも"つくる"と"なる"というフレームで
美しさについて書いたことがある。
ジャグリングにおける美しさとスゴさについて - うどんこの雑煮

では、ジャグリングではなく一般における、
美しさとは何かを上手く説明したものって何かないかと思い、
絵画における美しさの表現を知りたく、この本を読んでみた。

名画とは何か (ちくま学芸文庫)

名画とは何か (ちくま学芸文庫)

著者であるケネス・クラーク氏については、
鬼Lisperであるポール・グレアム氏が
ヒーローとして挙げていることで知った。

私のヒーローたち
以下引用。

ケネス・クラークは分野を限らず、
私の知る最高のノンフィクション作家だ。
(中略)
しかしクラークは違う。
そして彼は単に知的というだけでなく、
素敵なディナーに期待するような仕方で知的なのだ。

本書を読んだ感じ、正にそのとおりだと思える。
クラーク氏が絵を見て、
その感動がいかに大きかったかを論じる
氏の調べは、
確かに知的でステキなディナーに
招待されるような感じだ。

例えばティツィアーノ
パウルス三世の肖像に感動したときの様子を、
彼はこう書いている。

私がそうしたように、横を向いたり向きを変えたりしながら、
一時間もその絵を眺めていると、向きを変えるたびに
何か新しいことを発見できるのである。
賢明な老指導者、
老獪な人物、
同胞を知り尽くしている人間、
神をはっきりと理解している人。
ティツィアーノはこのすべてを、
さらにそれ以上のことをみてとったのである。

なんと豊潤な語彙だろう。
一つの肖像画、っていうか、
人間に対する印象をこれだけ豊かに語れるとは
素晴らしい表現力であるように思える、が、
ただ、大変残念なことには、
氏の名画評はかなりの部分主観で書かれており、
ぼくはげえじゅつについては完全な門外漢で、
一時間同じ絵を見ることのできる感受性どころか
せいぜいboketeを5秒みる程度の浅ましさしかもっていないので、

名画を見ても、
その素晴らしさは微塵も感じられないのであった。。。




悲しいorz




ただこの本は、
批評というものは、
その題材がなぜ良いものなのかを
素人にも分かるように
説明されるべきである、という
僕の思い込みを完全に打ち砕いた。

そんな高尚なことはされなくてもよい。
だって、名画は名画で、
私はこう楽しんだのだから、
それでいいじゃないか。
そういう、語弊を恐れずに言えば、
マチュアリズムがあるからこそできる批評がある。

そう感じられた一冊だった。
美術が好きだった人には本当にオススメである。

受注生産に徹すれば利益はついてくる!読了

仕事柄、ERPシステムを受注生産方式で
作っているのだが、
最近、受注生産方式とERPシステムって
噛み合わなくないか?と思い、
一般的に受注生産方式がどんな感じか
つかむために読んだ。

まあ、いつも僕が読んでいるこのブログの書評から
読もうと思ったんだけど。
書評:「受注生産に徹すれば利益はついてくる!」 本間峰一・著 : タイム・コンサルタントの日誌から

読後感だが、
概ね上記の書評通り、
受注生産にありそうな課題とその対処、
背景に制約理論があったり。

タイトルから考えたら当たり前なのだが、
この本の主題はユーザ側に近く、
ちょっとこれをそのままシステム開発
応用するのは難しいかなぁと思った。
ただしユーザ側が受注生産をやっている場合、
課題としてこういうものが想定されるのね、
っていうのはちょっと残ったかな。

読後メモ:
ERPは守りの経営戦略でしかない
・受注生産にマーケティング戦略論はそぐわない
・ブルウィップ効果(消費者から生産者に近づくに従い需要のブレが大きくなっていく)
・MRP生産管理システムは受注生産には使えない
・代わりに流動数曲線管理を使うべき
・理想的な現場管理システムはいらない

僕がこうなので僕の子供は苦労すると思う

皆さんは子供のときどんな子供だっただろうか。
僕はロックマンシリーズばかりやっていたが、
不思議な事に全クリした記憶がない。
嗚呼ヘタレゲーマー。

親からは習字とかピアノとか囲碁とかくもんとか合気道とか
習わされた記憶があるが、どれ一つ身につかなかった。
学校はというと、ギリいじめの標的にはならないくらいのポジションにいた。

J( 'ー`)し「こいつ、何をさせてもダメでずっとゲームばかりしてやがる。。。」

挙句ゲームを取り上げられてしまった僕は
傷心だったが学力だけは多少良かったおかげで、
九工大に入ってコンピュータとジャグリングの世界に
どっぷり使って留年してしまいましたとさ!

めでたし、めでたし。


さて、信じられないことに僕も人の子の親になったワケだ。
もし僕が僕の親だったらば即座にこのエテ公をぶちくらs(略
だがそういう訳にもいかないだろう。従って知っておく必要がある。
自分が幸運にして免れたが良くありそうな悲劇について。
いじめ、不登校、引きこもり、自殺などなど。。。

内向的な人間にとって、自分の子供がこういうことに巻き込まれると
考えること程ぞっとすることは他にないんじゃないか。。。

そういった問題と闘うのはそう簡単ではないだろうが、
そのヒントを得るのにこの本は良い。

「学力」の経済学

「学力」の経済学

この本は教育経済学という聞き慣れない分野の本で、
その核心は、
統計的データから考えるとベストな教育方法はこれだ!というものだ。
目次はこんな感じだ。

  1. 他人の成功体験はわが子にも活かせるのか?
  2. 子どもをご褒美で釣ってはいけないのか?
  3. 勉強は本当にそんなに大切なのか?
  4. 少人数学級には効果があるのか?
  5. いい先生とはどんな先生なのか?

学者センセイが書いた本とは思えない程読みやすい本で、
2週間程で読み終わることができるだろう。内容も面白い。
多分著者が若いからだと思われる。年齢、分からないけど。。
僕にとって読んでいて心地良い本とは、
基本的に直感から正しいと思える結論が導かれており、
直感からは正しくないと思える結論には良く説明がされている本だ。
この本はその典型と言える。良書だと思う。

ところで、この本には日本のデータはほぼ出てこない。
その理由は、日本の教育経済学に対する無理解であると著者は指摘する。
以下あとがきから引用。

教育経済学の研究にもっとも必要とされるものは「データ」です。
だから自治体や教育委員会、学校などに呼びかけて、共同研究を行い、
データを収集することが必要でした。
しかし、共同研究を持ちかけても、たいていの場合、
冷たく追い払われました。それどころか、ときには、
辛辣な批判を浴びることすらありました。
「あなたの研究は、子どもはカネやモノで釣れるということを示すためのものなのか。」
「教育は数字では測れない。教育を知らない経済学者の傲慢な考えだ」

根本的な原因は、研究に対して寛容になれない程に現場に余裕がないということだとも思う。
しかし、我々はもっと教育経済学、というか、
学問、研究に対する寛容な姿勢を、未来のために持つべきではないか?

誰のためのデザイン?読了

あけましておめでとうございます。

早速だけど、手元にiPhoneがある人はロック画面を見てみてほしい。
最初に目につくのはロック画面の壁紙に設定している僕の娘の顔だ。
とても可愛い。イェーイ。

恐らくその次に(つまり、普通の人にとっては最初に)目につくのは
日時と、">スライドでロック解除"という文字だろうと思う。
それが左から右に発光(sweep)している。
この画面からは、この画面をデザインした人が
ユーザに画面を左から右にスライドさせようとしていることが伺える。
(さらに言うと、左から右に、というのはこの画面を触る典型的なユーザが
右利きでありiPhoneを片手で使うことを想定しているように思える。)

ドナルド・ノーマンによれば、
このロック画面のような、
ユーザにそれがどのように使うことができるかを示す
特徴のことをアフォーダンスという。
上述のロック画面は左から右にスライドすることを
アフォード(支える)している、と言える。
ということをこの本で知った。
アフォーダンスを上手く使えばユーザの注意を
デザイナがしたいようにコントロールすることが可能だ。

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

さて、このアフォーダンスをとても上手く応用している人種がいる。
彼らはユーザ(というか、この場合、彼らを見ている人たち)の注意が
彼らが見てほしくない箇所から
彼らが見てほしい箇所に向くことを巧みにアフォードする。
これはミスディレクションといい、
これを上手く使う人種を我々は通常マジシャンと呼ぶ。

アポロ・ロビンス: 注意をそらすテクニック - YouTube

うん、まあ、アフォーダンスに対してやり過ぎな応用をしていることは認めるけれど、
iPhoneのデザイナがやってることと
マジシャンのやってることが一致すると言えるのって面白くない?

では、このブログは(いちおうは)ジャグリングについての考察が
メインであるので、ジャグラーアフォーダンスについて考える。
ジャグリングでも注意をコントロールすることができる。
アブラカタブラはその典型だし、一つのボールだけが
同じパターンを繰り返す(目玉焼き、[6x,2x][2x,6x]等)ので
そのボールだけ色を変える、といったことが考えられる。
これを推し進めていけば面白いことができるかもしれない。
でも結構難しいと思うし、これは主観だけど、
ジャグラーは自発的に観客をコントロールするべきではないような気もする。

まあ、結局そういうことがしたいならマジック練習せえ、
っていうことだと思う。適材適所。

オリンピックのエンブレム問題を追っていたら見つけた中西元男氏が僕の中で熱い

結構前になりますが、
東京オリンピックのエンブレム問題が発生した際、
色々見てたらこの記事を見つけまして。
中西元男公式ブログ | 中西元男 実験人生

この問題が抱える根本を見事に説明している気がして
目からウロコが沸いて落ちていきました。
それからというもの僕の中で中西元男氏がフィーバーしています。

この人はデザイン畑で、
NTTとかケンウッドのロゴを手がけた人です。
そんな男のCI事例集がこちら。

コーポレート・アイデンティティ戦略―デザインが企業経営を変える

コーポレート・アイデンティティ戦略―デザインが企業経営を変える

楽しく読めました。

CIとは。

コーポレート・アイデンティティ(英: Corporate Identity 略称: CI)は、
企業文化を構築し特性や独自性を統一されたイメージやデザイン、
またわかりやすいメッセージで発信し社会と共有することで
存在価値を高めていく企業戦略のひとつ。
CI、CI 計画、CI プロジェクトなどとも呼ばれる。1930年代にアメリカで始まった概念・戦略である。

コーポレートアイデンティティ - Wikipedia

この本を読むと、この人が品質(という工業的な表現でいいのか分からないが)
に対して妥協していないことが分かります。
つまり、NoというべきときにNoと言っているように思われます。

伝統あるご紋章を捨てるというのは、想像もつかない、
とんでもない提案だったのでしょう。
「ああ、これでこの仕事は終わったか。
まあ、それならそれで仕方ない」

これは松屋銀座のCIで、
ロゴを一旦捨てて新しくしようという
提案をするときの一節です。
そもそもよーそんな提案するなァという思いと、
この一種諦観した態度。
この部分が最高にかっこいいのです。

プログラマですが、
あー、これはNoというべきだなと
思う部分はいっぱいあります。
ビジネス戦略が見えない、
品質戦略が甘い、
残業が多い実装めんどくさいetc。。。

僕ではそれならそれで仕方ないとは言い切らないです。
僕が勤め人だからではないと思います。
何故それが言い切れるのか?
自分の方が正しいと考えきれるかです。
この人は恐らく、
自分が本当に納得のいくデザインだけをするということに
どこかで自分にコミット切ったんです。
そして日々勉強しているんです。
負い目のなさです。
そう、柴千春です。

「自分はこの喧嘩でなに1つ負い目はねェッ
その気負いッ
その自負心こそが拳に力を呼び勝ち目を呼ぶんだッッ」

もっと勉強しないとなー。。。
企業と喧嘩するタイプの柴千春の
喧嘩っぷりを知りたい人はご一読ください。