うどんこのお雑煮

映画とか読書とかジャグリングとか歴史。

誰のためのデザイン?読了

あけましておめでとうございます。

早速だけど、手元にiPhoneがある人はロック画面を見てみてほしい。
最初に目につくのはロック画面の壁紙に設定している僕の娘の顔だ。
とても可愛い。イェーイ。

恐らくその次に(つまり、普通の人にとっては最初に)目につくのは
日時と、">スライドでロック解除"という文字だろうと思う。
それが左から右に発光(sweep)している。
この画面からは、この画面をデザインした人が
ユーザに画面を左から右にスライドさせようとしていることが伺える。
(さらに言うと、左から右に、というのはこの画面を触る典型的なユーザが
右利きでありiPhoneを片手で使うことを想定しているように思える。)

ドナルド・ノーマンによれば、
このロック画面のような、
ユーザにそれがどのように使うことができるかを示す
特徴のことをアフォーダンスという。
上述のロック画面は左から右にスライドすることを
アフォード(支える)している、と言える。
ということをこの本で知った。
アフォーダンスを上手く使えばユーザの注意を
デザイナがしたいようにコントロールすることが可能だ。

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

さて、このアフォーダンスをとても上手く応用している人種がいる。
彼らはユーザ(というか、この場合、彼らを見ている人たち)の注意が
彼らが見てほしくない箇所から
彼らが見てほしい箇所に向くことを巧みにアフォードする。
これはミスディレクションといい、
これを上手く使う人種を我々は通常マジシャンと呼ぶ。

アポロ・ロビンス: 注意をそらすテクニック - YouTube

うん、まあ、アフォーダンスに対してやり過ぎな応用をしていることは認めるけれど、
iPhoneのデザイナがやってることと
マジシャンのやってることが一致すると言えるのって面白くない?

では、このブログは(いちおうは)ジャグリングについての考察が
メインであるので、ジャグラーアフォーダンスについて考える。
ジャグリングでも注意をコントロールすることができる。
アブラカタブラはその典型だし、一つのボールだけが
同じパターンを繰り返す(目玉焼き、[6x,2x][2x,6x]等)ので
そのボールだけ色を変える、といったことが考えられる。
これを推し進めていけば面白いことができるかもしれない。
でも結構難しいと思うし、これは主観だけど、
ジャグラーは自発的に観客をコントロールするべきではないような気もする。

まあ、結局そういうことがしたいならマジック練習せえ、
っていうことだと思う。適材適所。

オリンピックのエンブレム問題を追っていたら見つけた中西元男氏が僕の中で熱い

結構前になりますが、
東京オリンピックのエンブレム問題が発生した際、
色々見てたらこの記事を見つけまして。
中西元男公式ブログ | 中西元男 実験人生

この問題が抱える根本を見事に説明している気がして
目からウロコが沸いて落ちていきました。
それからというもの僕の中で中西元男氏がフィーバーしています。

この人はデザイン畑で、
NTTとかケンウッドのロゴを手がけた人です。
そんな男のCI事例集がこちら。

コーポレート・アイデンティティ戦略―デザインが企業経営を変える

コーポレート・アイデンティティ戦略―デザインが企業経営を変える

楽しく読めました。

CIとは。

コーポレート・アイデンティティ(英: Corporate Identity 略称: CI)は、
企業文化を構築し特性や独自性を統一されたイメージやデザイン、
またわかりやすいメッセージで発信し社会と共有することで
存在価値を高めていく企業戦略のひとつ。
CI、CI 計画、CI プロジェクトなどとも呼ばれる。1930年代にアメリカで始まった概念・戦略である。

コーポレートアイデンティティ - Wikipedia

この本を読むと、この人が品質(という工業的な表現でいいのか分からないが)
に対して妥協していないことが分かります。
つまり、NoというべきときにNoと言っているように思われます。

伝統あるご紋章を捨てるというのは、想像もつかない、
とんでもない提案だったのでしょう。
「ああ、これでこの仕事は終わったか。
まあ、それならそれで仕方ない」

これは松屋銀座のCIで、
ロゴを一旦捨てて新しくしようという
提案をするときの一節です。
そもそもよーそんな提案するなァという思いと、
この一種諦観した態度。
この部分が最高にかっこいいのです。

プログラマですが、
あー、これはNoというべきだなと
思う部分はいっぱいあります。
ビジネス戦略が見えない、
品質戦略が甘い、
残業が多い実装めんどくさいetc。。。

僕ではそれならそれで仕方ないとは言い切らないです。
僕が勤め人だからではないと思います。
何故それが言い切れるのか?
自分の方が正しいと考えきれるかです。
この人は恐らく、
自分が本当に納得のいくデザインだけをするということに
どこかで自分にコミット切ったんです。
そして日々勉強しているんです。
負い目のなさです。
そう、柴千春です。

「自分はこの喧嘩でなに1つ負い目はねェッ
その気負いッ
その自負心こそが拳に力を呼び勝ち目を呼ぶんだッッ」

もっと勉強しないとなー。。。
企業と喧嘩するタイプの柴千春の
喧嘩っぷりを知りたい人はご一読ください。

仕事と家族読了:ワークライフバランスを考える

ウチには子供が二人います。
常々思うんですが、子供の世話って大変ですよね。
生後半年は3時間毎に起きるし、
それからは何でも口に入れる期が始まるし、
それが終わってちょっとするとイヤイヤ期が
始まるしもうやってらんないっす。
僕の感覚だと子供一人に対して1.5人くらいの
労力がかかるんで、(つまり子供二人だと3人必要だと僕は思う)
僕としてはなるべく子育てに参加したいのですが、
ここで問題になるのがどれくらい働くのか
ってことです。

日本のいわゆるサラリーマンっていうのは、
僕はサラリーマンやっているんですが、
基本的に、専業主婦のパートナーがいて
持病とか特に持っていない屈強な男性が
働くことを前提にデザインされています。
そして日本ではサラリーマンが働き方の
スタンダード(8割くらいがこの雇用形態っぽい)です。
これは言い換えると、日本では女性や弱い男は
"まとも"じゃないぜってなもんなんですが、
それって先進国(僕は日本はもはや先進国じゃないと思っているが)
としてどうなんですかね?
っていう個人的な感想と、
まあ、この不況でそんな寝言いってんじゃねえ
労働力足らんのぢゃっていう感じになっちゃってきてるんで、、
どうすりゃいいんですかね?

ということで、仕事と家族を読みました。

こんな本です。

  • 近代(1970年以降)の仕事の在り方の変遷っぷり
  • 変遷に対し各国政府の対応っぷり
  • 家族の在り方の変化っぷり
  • そして日本は今後どうすべきなのか

読んだ感想なんですが、
近代の仕事の仕方を考える上での
基礎知識が網羅できる本だと思いました。
学校で教えるべきだと思うくらい。
ところどころデータを詳細に追っていく箇所は
ちょっと読みづらかったですが、
大方のところはすっと頭に入ってきます。
良書だと思います。値段も手頃。

書籍だと読みにくいと思われる方は
こちらの記事などどうでしょう。同じ著者です。
日本的働き方における「フレキシビリティ」の矛盾

国としての大軸として、
大きな政府を選ぶか、小さな政府を選ぶかは
難しいところだと思いますが、
個人的には、
日本人は小さな政府を形作れるほど
パワーが無いと思うので、
大きな政府がいいんじゃないかなぁと
考えています。

いじょ。

どう教えるかについて

ちょっとした思考ゲームをしてみる。

僕は課長を殴って会社をやめてしまい、ニートになってしまった。
今になって思えば何も殴ることは無かったんじゃないかとは思うけども
月100時間以上残業させたくせに家に仕事を持って帰れと言われてしまえば、
まあ、仕方がない。
そんでまわりのオヤジ達にそのことがバレてしまい、
どうせ暇なんだからと町内少年野球チームの監督をさせられるハメになってしまった。
(どう考えてもニートに少年チームの指導をさせるとか有り得ないけど、
ほら、思考ゲームだからね。)

さてこのガキ共にどうにかして"やきう"を
教えてあげなければならないンゴなのだが
ここで二つのアプローチの仕方がある。

A:野球のルール、語彙を座学で徹底的に学ばせテストした後で
(インフィールドフライは野手に選択的優位が発生するため
落球してもアウトとする。絶対に忘れるな!)
初めて道具に触らせてゲームを教える。
このアプローチは子供がどれくらい理解しているかを
測定するのがかなり簡単だが、子供の方は多分そんなに面白くない。

B:簡単なコンセプトと道具の使い方だけを子どもたちに伝え、
まずはゲームのようなものをさせてみて、その後でルールや語彙を教える。
(ね、一塁に人がいるときに内野にフライが上がった場合に、
捕る人がわざと落としたら2つアウトにできてずるいでしょ。
インフィールドフライっていって勝手にアウトにするんだよ。)
このアプローチは子供は面白く感じるだろうが上手い下手、ルールの理解度の測定等
教える側が考慮することが多いし何より時間がかかる。

一般に、Aのアプローチは教示主義、Bのアプローチは構築主義と呼ばれている。

教示主義は我々が受けてきた通り、現在の学校至る所で見られる。
教示主義が優れているところは管理が簡単であるということで、
今日の日本の高い識字率や計算能力の高さ(少なくとも四則演算のレベルの高さ)は
これによるところが大きい。
問題は教示主義が内的動機付け(やる気)をほとんど考慮しないということで、
要するに、アメをやるからフェルマーの最終定理を証明しろと言われても
そりゃ無理だろうということだ。
だから学校教育に関しては、小中学校以降はなるべく早く構築主義的に
なっていったらいいなぁと思う。

さて僕は生きていてプログラミングやジャグリングについて教えることもあるが、
その時には構築主義的でありたいと思う。
で、この本を読んだ。

作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド (Make:Japan Books)

作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド (Make:Japan Books)

この本にシーモア・パパートが提唱した
構築主義学習についての8つの大切なアイデア
あるのでちょっと編集、引用して終わりにする。
(この本はものづくりに関する本なので、ものを作ることに対しての態度だということに留意)

  1. 実践による学習
  2. 素材にテクノロジーを使用する
  3. 困難を伴う楽しみ
  4. 学び方を学ぶ
  5. 時間をかける
  6. 失敗をせずに成功することは不可能(最も大事)
  7. 生徒にすることを自分もする
  8. デジタルテクノロジーについて知ることが読み書きと同じくらいに重要なデジタル世界に踏み込みつつあるということ

BAKEうめえ。


――駄菓子。
それは人類に残された最後の開拓地。
そこには人類の想像を絶する新しい食味、
新しい食感が待ち受けているに違いない。

ひがな一日中、狭い部屋に押し込められ
錯乱気味にキーボードを打ち込み続ける職業。
プログラマ
夜には活動を停止するミツバチもびっくりの
作業時間で行われる、
正気とは思えない知的労働(笑)の中で、
その唯一の楽しみが午後一のコーヒーと
その茶菓子である。

知的労働の生産性には個人のモチベーションが
大きく影響する。
また明らかにモチベーションの維持に
このような個人的嗜好は影響を与える。

つまり 生産性 =
コーヒーのテイスト ×
茶菓子のフレーバー。

コーヒーは過去に一人で開催した
インスタントコーヒー総選挙により
既に決定している。

その茶菓子として何をチョイスするか。

噛み砕いた際の2層のチョコレートと
底部のクッキーが奏でるハーモニー。
明治の商品開発技術の結晶、たけのこの里はベストだった

今日BAKEに出会うまでは。

どうやらMORINAGAはチーズ風味生地の
量産化に成功したようだ。
とろけるマスカルポーネチーズと
ほろ苦いショコラクッキーが
舌の上でタンゴを踊るとき、
我々人類は月面着陸以降最大の衝撃に出会うだろう。

人生に楽しいことが何一つないって?
怠惰への最良の対処法は
一度に大きく変えることではなく
継続的に小さく変えることだ。
自分の味覚に対する小さな変化を
起こすタイミングがいつかと困っているなら、
今がその時だ。

200円というこの量の駄菓子にしては
かなり高級な部類だが
この商品にはその価値がある。
ぜひ食べていただきたい。

クリティカルチェーン読了

クリティカルチェーン―なぜ、プロジェクトは予定どおりに進まないのか?

クリティカルチェーン―なぜ、プロジェクトは予定どおりに進まないのか?

元々は生産管理用に考案された
制約理論のスケジューリングへの応用。
生産管理ではバッファとして仕掛在庫を置く。
ならスケジューリングではバッファとして
時間を置こう、
但し学生症候群とかマーフィーがあるので
その辺は上手くやろうということでした。

いい感じの要約がありましたので
知りたい人は下記で。
クリティカルチェーン・プロジェクト・マネジメント

中身はビジネス小説の体なので
読みやすかったです。
但しこれを読むならザ・ゴールを
先に読んでおくといいです。

型を変える

最近、といってももう一年近く経つが、
コンタクトポイを割と真剣に練習している。

コンタクトポイは難しい。
コンタクトポイ自体の難易度というよりは
僕がスイング系の道具を触ったことが無いからだ。
コンセプトは非常に気に入っている。
大きめのヘッドに、短めのチェーン、
重めのハンドル。
スイングの道具でありながら、
トスもロールもできる。
面白い。

少しは技も覚えた。
ジャグリング的語彙(技)が増えてくれば
文(ルーティン)や文章(パフォーマンス)も
やりたくなるのがジャグラーの性だが
パフォーマンスの作り方が分からない。
難航している。

僕は最初にボールを練習した。
だからボールのパフォーマンスなら
少しはできる。ハットもできる。
というのはハットのパフォーマンスは
ボールの延長で作れたからだ。
でもポイはできない。
どうもボールとポイでは
観客へのアプローチの仕方に何か
違いがあるように思える。
(余談だけど、コンタクトジャグリング
ポイと同じ系統に属する気がする)

それが何かはちょっと分からないが
これが僕がポイを練習している理由だ。
僕にとっては、
ポイでパフォーマンスを作るということは、
ボールで確立させた、
観客に対するアプローチ(型)とは
違う型を強制されるということを意味する。

矯正されるというのは強烈なストレスだ。
人間には慣性の法則みたいなモノがあり、
一度何かを確立させてしまうと
そこに留まり続けようとする力が働く。
(デフォルトの力という。)
これに抵抗するのはちょっと骨が折れる。
多分過去に一度確立させた経験から、
それがどのくらいの骨折りになるかが
感覚的に分かるからだと思う。

だがマンネリに対抗するには
これしかないように思う。
多大なストレスに抗いジャグリングに
飽きないようにしたい。
僕は趣味ジャグラーだが、
今のところは、
ジャグリングをやめる予定はない。