さて前回、各界隈から御しやすいと見られたミハイル・ロマノフが1613年に即位した。さらにその父フィラレートはモスクワ総司教に就任し、親子で政治と宗教を動かすことになったが、特に目立った成果なく、ミハイル・ロマノフ1645年に死去。やはり動乱時代の…
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