ジャグリング大会に女子部門は必要か?
チ秋さん is Back!!
九大のチ秋さんがジャグリングにおける女子の立ち位置について呟いてました。
この2年間に考えてきたことの1つをまとめました pic.twitter.com/dpXYEQAieW
— チ秋 (@fukushi_chiaki) 2018年2月19日
この2年間で思ったことその2 pic.twitter.com/URkTsva7QE
— チ秋 (@fukushi_chiaki) 2018年2月20日
読みました?女子ジャグラーの立ち位置についてかなり切実な気持ちを述べていると思います。ここは、一男性ジャグラーとしてよく考えておく責任があると思ったので今回ちょっと筆を取りました。(非常に繊細な問題なので先に断りますが、ここに書いているのはあくまで個人的な思いですのであしからず。あと長いです。2500文字。)
女性ジャグラーの大会における立ち位置については僕の中ではずっと疑問がありました。JJF2017で、女性は4人エントリーしています。男性は8人。JJF2016では男性8人に対して女性3人。3人。何もしなくても自動的に三位かー、うーん。女子部門というのは本当に必要なのか?必要であるならば何故でしょうか?
悩んだ結果を先に書いておくと、女子部門というのは必要だと思います。なぜか。
なぜ女子と男子を分ける必要があるか?
まず最初に思いついたのは男女の肉体の構造が違うから男子と女子と分けたほうがいいのではないか、という観点。男子の方が肉体的に勝っているのだから、男子と女子は別々に順位付けするのが自然なのではないでしょうか?いくら吉田沙保里が強いとはいっても男子金メダリストに勝てるとは思えません。(多分。いや、待てよ、もしかしたら。。。?)
しかし順位付けというからには選手Aより選手Bが優れているということを評価しなければなりません。その評価を女子と男子で分けるということは、全く同じ才能を持つ二人の人間ABがいたとして、女子選手Aよりも男子選手Bの方が優れていると言えなければならないでしょう。まずは、評価には大きく分けて二種類あるというところから考えていきます。それは、定量的評価と定性的評価です。
評価の方法
定量的評価というのは、同じ技なら速い方が勝ち、ボールが多い方が勝ち、回転数が多いほうが勝ちというやつです。アンソニー・ガットーとクリス・クレモのトスジャグリングを定量的に比較した時にアンソニー・ガットーに軍配があがるのはほとんど誰の目にも明らかだと思います。
話は飛びますが、オリンピックのフィギュアスケート、羽生結弦選手が金とりましたが観ましたか?フィギュアの国際大会はかなり定量的評価を重視している、と僕は考えています。同じジャンプなら回転数が多いほうが勝ち。この評価方法は結構便利で、それはどちらが上だったか決定しやすいからです。回転数が多い、うむ、こいつの方が上手い。
これはしかし実は結構危ない考え方で、何故かと言うと、回転数が多い=フィギュアスケートが上手いとは必ずしも言えないにもかかわらずそういう風に定義されてしまうからです。余談ですが、僕はフィギュアスケートの大会があんまり好きではないです。ほとんど全部同じに見えるので。。。
この評価軸で評価すると、たしかに大体のスポーツにおいて女子は男子よりも下だと言えるでしょう。肉体的に劣っているのだからこれは当然と言っていいでしょう。
では定量的評価を元にしてアンソニー・ガットーの方がクリス・クレモより良い、と言っていいかと言えば、必ずしもそうとは言えません。評価とはほとんど必ず定性的な面を含みます。定量的観点は別にしておいてじゃあどちらが上か、という観点です。
それはじゃあ何なのかと問われると説明するのは難しいんですが、それは本来そこで発揮するべき技術とは違う種類の技術の引き出しの多さと言えるかもしれません。例えばDaggleのKOMEIはジャグリング技術とは別にダンスの技術の引き出しを開けたから評価されました。IJA1995のジョン・ギルキーは見事なクラウニングで評価されました(古い。。。)。そして定性的評価には男女の性差は関係ないということは言っていいと思います。
従って男子と女子の評価を別々にする、ということは定性的評価よりも定量的評価を重視する、ということになります。けど。。。そんなこと無いよね。JJF2017の工藤さんと貫井さん、どうやって定量的に比較しますか?ナンセンスでしょう。だからどうひいきめに見ても、ジャグリングの大会ってのは定性的評価を重視するといえるでしょう。なので、少なくとも評価の観点からは、つまり選手Aより選手Bが上位であるということを明らかにする必要があるという観点からは、男子と女子を分ける必要はないと言っていいと思います。
ジャグリングの大会において女子部門は必要ありません。
。。。結論が最初と違うと思った人たち。記憶力がいいね。待て、まだちょっとだけ続くんじゃ。
定性的評価に性差はないというのは本当か?
と、ここまで書いてチ秋さんのTweetを読み返したところで、長時間練習する体力には性差があるという記載が気になりました。わざわざ太字にしてあるところに彼女のセンスを感じます。定性的な評価には性差がないと先ほど結論づけました。これって本当にそうでしょうか?嘘では?
定性的な評価とは本来そこで発揮するべき技術とは違う技術の引き出しの多さと書きました。これと長時間練習する体力に性差があるということは即ち総合的な練習時間は男子>女子と言えるということだから、取り組む時間に違いが出ます。ということは、本来そこで発揮するべき技術とは違う技術の引き出しの多さも男子>女子と言えるのではありませんか?
結論
実はチ秋さんのTweetを見るまで、女子部門の必要性というのは女性ジャグラーも活躍できるということを証明するためだけのものだと、ジャグリングの文化的側面のためだけだと考えていました。あるいは審査のバイアスの問題。でも、そうも言えないかもしれない。本当に純粋にジャグリングを評価する上で、男子の方が女子より優れているから、男子と女子を分ける必要があるかもしれません。
つまり、やはり、女子部門は必要である。
とりあえず現在の結論はこうだと言えると思います。自分で書いておいて気持ちがよくなく、あまり納得はしていませんので異論があればコメントください。