うどんこのお雑煮

映画とか読書とかジャグリングとか歴史。

パチカ、ジャグリング、ハーモニカ

 

まず最初に。これは JugglingAdventCalender2018 への寄稿です。記事を作成する機会を頂きありがとうございます。

adventar.org

また、この記事はだいたい2000文字程度です。所要時間は5分といったところです。

よろしくおねがいします。

 

さて

メリークリスマス!

どうも、うどんこ(@kondog_7535)です。もうクリスマスですね。皆さんいかがお過ごしですか?このブログは半年ぶりの更新になります。やる気が感じられませんね!!

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いらすとやさんありがとう

僕はここ最近、ハーモニカ、それと、パチカ(アサラトともいう)をやり始めました。ジャグリングは12年くらいやってて2年前から倒立を始めたんで、これでジャグリングおじさん、倒立おじさん、に続きハーモニカおじさん、パチカおじさん(32)の称号を得んとしています。ちなみにパチカ(アサラトともいう)とはこういうやつです。見たこと無い人もいると思うので。シャカシャカ、パチパチです。

youtu.be

 

僕がジャグリングを始めた18歳に戻って「君は14年後には妻子がいて、ジャグリングと倒立とハーモニカとあとなんかシャカシャカカチカチやっている博多のソフトウェアエンジニアになっているよ。今頃は子供のクリスマスプレゼントにはあまり金をかけたくないと思っているよ。」と告げてもなるほどこいつは働き過ぎてどうかしてしまったんだと思われるに違いありません。

 

で、ハーモニカを半年くらいやって、人間というのはどうも旋律というものをかなり細部に至るまで頭に入れることができるようだ、ということが分かってきました。というのは、ハーモニカにはベンドというテクニックがあり、これが綺麗にできないと半音が出ないかボケっとした音になるのですが、全く音楽の素養がない人がこのベンドが拙い旋律を聞いても、その旋律を知っていれば、しくじっているということを認識できるのですね。具体的にはウィリアムテルのテーマの"ラ"なんですけど。

 

待ってください。「おいおいこの老害(32)はジャグリングのアドベントカレンダーでなんでハーモニカ語り始めたんだよどうかしてしまったんだ?」と思いました?僕もここまで書いてそれ思いましたけど、どうかしてますけど、まあもうちょっと付き合ってくださいな。

 

んで話戻ってジャグリングだとですね。まああなたが一番見たことのあるジャグラーのルーティン(僕の場合はクリス・クレモ)の記憶と、それなりの精度で模倣したルーティンを比べても、なかなか簡単にどこがどう違うというのを具体的に指摘するというのは難しいんだと思うのですな。これは当たり前で、なぜなら音楽は音、ジャグリングは映像として記憶しなければならないんだからそりゃそうだろうと、つまり情報量に圧倒的な違いがあるからそりゃ頭に全部インストールすることは難しいだろと思うわけです。

ではパチカで同じことを考えた場合にですね、パチカっていうのは一種の打楽器なんですが、それで同じように、シャカパチシャカパチを模倣してその差分を取ろうとしたときのことを想像してみますと。旋律のそれと同じようにはいかないように僕には思えるんですね。やったことないですけど、なんとなく難しそうじゃないですか?とても難しいに違いありません。パチカの方が旋律と比べて情報量が少ない(音の高低がない)にも関わらずです。

 

つまり人間には情報量とは関わりなく、頭に入れることが容易なものとそうでないものがある、と思えるわけです。音楽と脳とは親和性が高い。それが、音楽がこれほど生活と溶け合っている理由ではないか。それが何故かは僕には良く分かりませんが、多分コミュニケーションに音を使うからでしょうね。生物に目が誕生するかなり前から耳はあるようですし。

 

いずれにせよ、人間、音楽、ジャグリングを一直線上に並べたとき、人間と音楽の距離の方が音楽とジャグリングの距離より短い、というのは念頭に置くべきかもしれません。

 

例えば感情を表現するという目的とジャグリングという手段はめちゃ相性が悪いです。そういうのをやりたいのであれば演劇なりパントマイムが手段としては適していると僕は思います。でも、僕たちはジャグラーですからジャグリングで表現したいじゃないですやんか。つーわけでジャグリングで感情を表現したい場合には音楽をうまく使うことにより良い演技ができるでしょう。まいやーさん言うところのエモいというやつです。 

エモいを言語化しよう|まいやー|note

 

かといって音楽に近すぎる演技も考えものだとも思います。これはアオキコウメイさんのDaggleのような演技を指して言っているのではなくって、結構前に(僕的にはちょっと前なんですけどw)恋ダンスをルーティンに取り入れた人がいたと思うんですが、ああいうののことを言っていまして、ああいうのは賛否が分かれがちです。それは恐らく補助的に音楽を使って自分の世界観を作るのではなく、音楽がもともと持つ世界観をそのまま使ってしまっているような印象を受けるからでしょう。つまり音楽にフリーライドしている形ですね。あの楽しい世界観をそのまま使うというのは表現の戦略的にはもちろんありなんですが、「ジャグラーたるもの世界観は自分のものを大事にしてほしい」という人が一定数いることは想像に難くないと思います。

 

目的に応じて選曲し、観客に与えたい世界観と自分の演技から伝わる世界観をうまく合わせると、印象に残る演技が作れると思います。否、作りたい。というわけで、音楽をうまく使えという結論めいた月並みなことを書いて、ジャグリング、倒立、ハーモニカ、パチカおじさん(32)の最近気づいたことを終わりたいと思います。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。感想等あればいただけると大変うれしいです。では良い年末を!!