うどんこのお雑煮

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ロシア史2 リューリク朝の誕生あたり 1000年頃

娘(9)に歴史の話をして寝かしつけをするシリーズ第二弾。今日も夜な夜なロシアについて調べてまとめている。。。俺は、なにをしているのだろう。

 

ロシアは大多数のスラブ人を少数のノルマン人が治めていた国であったはずであるから、ロシアの最初を伝えるにはまず、ノルマン人の説明から入ろうと思う。860年頃、ノルマン人と呼ばれる人々の人口が北ヨーロッパでめっちゃ増えた。増えて溢れた人は住む場所が無くなったので新たな居場所を求めて色んな場所に散った。これを第二次民族大移動と呼ぶ。これが要因となって各地で混乱が起こる。ノルマン人、めっちゃ強かったのだ。当時からバイキングと呼ばれ恐れられていた。

一部のノルマン人が北欧から海を超えてキエフ(現在のウクライナの首都)にやってくる。この人たちがルーシ(船を漕ぐ人という意味らしい)と呼ばれ、後にロシアの語源となっていく。

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現在のキエフ。今、きな臭くなってきている。。。

伝説によれば、ノルマン人の長リューリクが強く、原住民であるスラブ人を支配したようだ。ここからノブゴロド、キエフが大きくなっていき、これが後のロシアの原形となる。このキエフギリシャの領域とスラブの領域のちょうど通り道のところにあったために大変栄えたようだ。なおキエフ、ノブゴロドは毛皮の産地として有名であるらしい。

さて、娘にはビザンツ帝国の話を延々聞かせているので、ビザンツ帝国キエフからレンタルして使っていたノルマン人傭兵部隊といえばバリァグ部隊であることは分かってくれると思う。また、この民族大移動で東ではなく西へ行った人々は、紆余曲折あって南イタリアへ渡り支配する。その後ビザンツ帝国と渡り合ったロベルト・イル・グイスカルド、またこの甥であり、後に十字軍の中心人物となるボエモンなどもノルマン人である。ノルマン人はやはり強く、南イタリアキエフは同じ民族が似たような形でノルマン人に支配されたと言っていいのではないかと思っている。

988年、このときのビザンツ帝国はバシレイオス二世というビザンツ帝国最強の皇帝が活躍していた時代であったが、皇帝のブルガリア遠征に、当時のキエフ大公ウラディミルが協力することになる。ウラディミルは見返りに皇帝の娘と自分を結婚させるよう要求。最終的にビザンツ帝国の傘下に自ら入るという珍事が起きる。そしてキリスト教へ改宗した。その流れでキエフキリスト教を取り入れていくことになる。ビザンツ帝国流のキリスト教なので、カトリックではなく正教会の派閥である。このときウラディミルが正教会傘下に入るきっかけになった話が残っている。長いので、サイトから引用する。

ウラディミル1世

ウラディミル(ウクライナ語ではヴォロディーミル)は始めは偶像を作り、生け贄をささげ、5人の妻と800人もの妾がいた。イスラーム教を信仰するブルガール人がイスラーム教を勧めて「マホメットは割礼をせよ、豚肉を食べるな、酒を飲むな、その代わりに死後には女たちと淫行をすることができると言っています」。ウラディミルは淫行の話は楽しげに聞いていたが、「ルーシ人は呑むことだけが楽しみなので、それなしではとても生きていけない」と答えた。またユダヤ人が来てユダヤ教を勧め、「我々の掟は、割礼をし、豚肉・兎肉を食べず、また安息日を守ることです」。ウラディミルは「お前たちの国はどこにあるのか」と訪ねると、「イエルサレムに。しかし我々の罪のために追い出され、今はキリスト教徒のものになっています」との答え。それを聞いたウラディミルは「自分たちの国を追い出されているのに、どうして自分の信仰を勧めることができるのだ」と言って彼らを退けた。ウラディミルは今度は家臣をギリシア人の所に送った。その使いの者が言うには「コンスタンティノープルの教会は天上にいるような心地でした。地上にはこれ以上の栄光も美しさもありません・・・」と報告した。

なんていうか、当時の蛮族感が伺えるエピソードである。このときキリスト教に改宗したことが、後にビザンツ帝国の継承者になる遠因となった。

このあとはモンゴル帝国という無敵の騎馬民族の時代に突入していく。