ロシア史3 タタールのくびき 1200年頃
ここでロシアから視点をぐーんと東に移してモンゴルを見ていくことにする。
歩くと一日15時間歩いても80日かかる。遠いな~。なんでこんなに東に行くかというと、一つはここで世界史上の大事件が起こるから。もう一つは、今から1200年くらいの話をするのだが、それまでキエフ周辺で特筆すべきことがない(あるいは、残っていない)からである。
さて、モンゴル人は遊牧民族で、この当時はいろいろな部族がバラバラに草原を駆け回るような暮らしをしていたのだが、1162年にテムジンというモンゴル人が生まれ、この男がモンゴルの部族を掌握することに成功する。1204年にはモンゴルを統一し、民族大集会にてハンの称号を得て、モンゴル帝国となった。このテムジンのことをチンギス・ハーンと現在の私達は呼ぶがモンゴル帝国は近隣諸国を西へ東へひたすら侵略しまくった。このときの侵略は世界史的な事件となった。モンゴル帝国の最大版図を改めて見ると、日本がモンゴルに侵略されなかったのが何故か不思議になるくらいだ。全世界の20%がモンゴル帝国領になったといわれている。
さてこの暴れまわっていたモンゴルから、チンギス。ハーンの孫、バトゥという者がキエフにやってくる。これは1240年のことであったが、このモンゴル人はめっちゃ強かったのだ。モンゴル人は馬と弓を高い練度で、しかも大量に導入した軍隊であったためである。当時のヨーロッパでは、馬というのは高級品で、一部の貴族でしか所有していなかったため、戦争でもそうそう使うことは少なかったそうである。一方モンゴル人は草原を駆け回り獲物を狩るという生き方をしていたため、馬と弓が生活必需品であった。この機動力によりキエフはなすすべなく蹂躙されてしまう。再起不可能なほど破壊されてしまい、さらにこの後200年ほども支配されてしまう。これによってキエフは世界的に100年ほど遅れてしまったと言われており、これを「タタールのくびき」と呼ぶ。