うどんこのお雑煮

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ロシア史4 イヴァン3世 1480年頃

前回、タタールのくびきの話まで行ったが、ここから一気に200年ほどジャンプする。この間にも支配下にあるキエフ大公国の、モンゴル親分配下の内輪揉めでどこが覇権を握るのかというような歴史があり、それはそれで面白いのだが。

タタールのくびきによりモンゴル支配下に置かれたロシア(っていうか、キエフ、ノブゴロド、モスクワあたり。このとき多分、まだロシアという概念はないんじゃないかと思う)だったが1450年くらいまでは血で血を洗う、というか目をくり抜きくり抜かれる(摘眼刑。この辺はビザンツ帝国のやり方がよく真似されている。)でごっつい内戦を行っていた。この内戦を終わらせ、国内を統一したのがイヴァン3世であった。とりわけノブゴロドの併合は1471年〜1478年まで続いたというのだから大仕事だったわけだ。

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イヴァン3世。ロシア人らしい立派な髭がステキである。

イヴァン3世 - Wikipedia

彼は内戦を終わらせロシアを統一したが、このときのロシアは少数の貴族が国の方向を決める貴族制を取っていた。彼にとってこれは邪魔だったらしく、まずはこの貴族会議を機能させなくした。めったやたらに自分の配下を会議に送り込んで混乱させ何も決められなくするもいう戦術を取ったのだが、これがうまくいき議会は何もできなくなってしまった。

歴史上、上手い人はこういうことをやるのがうまい。つまり相手を無理やり押さえつけるということはあまりせずに、あくまで相手の文脈で自分のやりたいようにやるのである。こうして実権を握ったところから、ロシアの貴族制から専制君主制への移行が始まる。専制君主制を象徴するかのように、彼は「ツァーリ」と名乗った。ツァーリの語源はラテン語カエサル(Caesar)であり、ちなみにドイツ語ではカイザーと発音する。日本語では皇帝と訳されることが多い。

さてツァーリ・イヴァン三世は国内統一の後、モンゴル人に喧嘩を売っていく。貢納金の支払停止である。ここからモンゴル帝国からの独立へと繋がるのだが、これがモンゴル帝国には止められなかった。10万の兵を用いて脅しをかけるも戦闘には至らず、モンゴル帝国は引き下がることとなった。1480年のことであった。なおモンゴル帝国はこのあと分裂し、弱体化していく。

さて、このときにはビザンツ帝国はもう滅亡していたわけだが(滅亡に等しい降参ビザンツ帝国滅亡。1453年。)、この末裔がまだ生きていた。この娘、ゾエ・パライロゴスと結婚することにより、彼らロシアはビザンツ帝国の遺産を引き継ぎ、「第三のローマ」を自称していくことになる。ちゅーてもこの呼び方はいろんな国が主張している模様である。その主張する国の多いこと。

 

第三のローマ - Wikipedia

 

ビザンツ帝国滅亡の影響力の強さが伺える。なおこのビザンツ帝国の継承者は双頭の鷲を掲げがちであるが、これはビザンツ帝国の国章だったかららしい。

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双頭の鷲。ビザンツ的には、東西のローマを統べるという意味らしい。

こうして徐々に大きくなっていく彼らはローマ帝国の継承者としての地位を確立できるか。次回はそんな彼らリューリク朝が滅亡するところを話す。